雑記

目に見えぬ冬の終わり

傘を伝う雨粒が、アスファルトに落ちて、側溝へと流れていく。天と地の無数の結び目をたどって街を歩きながら、今日はマフラーのいらない日だと思った。駅前の人通りはいつもと変わらない。同じ日は来ないけれど、普段通りの日々はそこにあって、変化という…

沈む

自分にできないことができるひとをひたすらに尊敬しながら、そんな必要もないのに比べてしまって落ち込むことがたびたびある。心の内にある動きを見つめてみたら、それは「大したことがない」と思われたくない、「つまらない」と思われて離れられたくないと…

真夜中の残光

昨日で辞めたら三日坊主になるなと思い、何かを綴る試み。打ち込まれた杭にロープを渡して、未来の誰かがたどれるように。たどったところでどうなるのか、何になるのかという問いに価値はなく、時間が経ったとき、そのときの自分が確かにここで何かを考えて…

10年を思って

はてなダイアリーからはてなブログに変わって、アイコンが設定できるようになっていたことを今さらのように確認し、適当なものに変更した。とりとめなく連日のように更新するのはもはやいつぶりかわからない。 世間が騒がしくて、仕事がその影響をもろに受け…

読書以外のこと

自宅のPCを買い替えた記念にというか、まともにキーボードが打てるようになったことを祝して、日記らしい日記めいた文章を綴ることにする。わりと長い間、エンターとデリートが利かない状態で過ごしていて、もうそろそろ買い替えるのに十分な時間は使っただ…

もう一度、書くことは生きること

書くことは生きること。何かを書こうとして、考えても考えても出てこなかったり、まとまらなかったりするとき、しるべのように心の奥に立つ、その言葉の前に戻る。心の中にある思いを練り上げ、文章にすることを長らく怠ってきたことを恥じ、佇むことしかで…

新しい季節を思うこと

ずいぶん早く咲き始めて散っていった桜を回想しながら、梅雨明けを待っている。夏の足音が聞こえてくるのも心なしか早く、こうして時が経つ早さを身に染みて感じられるのは、30歳を迎えてしまったせいなのかもしれないと思い、少し複雑な気持ちになる。 とは…

何かをつきつめること

異動が決まって、気忙しく日々を過ごしている。4年過ごした部署、特に2015年からの3年間は、楽しかったこと以上に、きつかった記憶ばかりが思い出される。20代も残りわずかとなり、ここにきてようやく、背負い続けてきた重荷を下ろせることに安堵している。 …

書くことへの回帰

2か月間更新を怠ったせいで、体調が悪そうなままの記事で終わっていたことを反省している。一つひとつを振り返れば何時間でも書けそうな気がするけれど、ひとまず直近のことを綴りたい。 年末から2週間近く風邪を引いていて、ようやくほぼ治った。喉の激痛、…

崩れた体調の隙間から

2日間睡眠を充分にとったにもかかわらず、身体のだるさと頭の重さが抜けなくて病院に行ったら、夏風邪と脱水症状と診断された。暑い時期に風邪を引いた記憶がほとんどなくて、記憶にないということはその経験は初めてのようなもので、春先や冬場に引く風邪と…

回想の光

気持ちを言葉にする時間が、忙しいなかにもきちんと確保されていて、渦を巻いたり混沌としたりするようなことが減っているからか、ここに改めて書き出すのにずいぶん悩んでしまった。 それを表現するための言葉はすでに見つかっていて、しかもそれ以上に言い…

白く震えた旅人に残る絆

多忙なのか怠慢なのか、うやむやにするように日々が過ぎていき、気がつけば1月が終わろうとしていた。ここに綴らない時間が増えていくのを頭の片隅で気にしながら、気にならなくなるのではと思いつつもそうはならず、かえってこれ以上途絶えさせるのはまずい…

新しい時間の始まり

思い返せば実にいろいろなことがあった11月だった。 大きな出来事としては二つ。一つは原稿用紙換算100枚の小説を書き上げたこと、もう一つはミラーレス一眼を購入したことである。 小説は、ぼんやりと書きたいイメージだけがあったのは去年の今ごろで、完成…

秋風の吹く先

8月の終わり、路地に吹き込んだ風に運ばれるようにして、秋めく街路にたどり着いた。言葉でできた建物に、目移りしながら進んでいく日々。穏やかで平和な街並みはずっと居心地がよくて、流れる時間は緩やかでいとおしく思える。 忙しさに拍車がかかる10月に…

夢の通い路

人が鏡なのだとしたら、そこに映る自分と、その自分の後ろにある背景の街並みもまた、それを映してくれる人間によって姿を変えるのだろうと思う。 路面電車が向かう郊外の景色は雨に濡れ、新緑の水底に沈んで、ふるさとの川岸にたどり着く。曇天の堤防で、流…

波紋を待つように

今の自分がどのようなことを考えて日々を過ごしているのか、それを言葉にせずにいると、何かがくすぶり始めるらしい。種火は燃え上がることなく、煙ばかりが立ち昇る。話すことも書くことも、やはり大切なのだと思う。どちらか一方だけでは、なかなかうまく…

5年を終えて

新しい手帳を買うとき、目の前にはこれから先の一年が広がる。世間の年度替わりは4月だけれど、仕事の性質上、3月から次年度が始まるので、今日と明日の日付をまたぐことは、ある意味年越しと同じくらい大きなもののように思える。 6年目に入る。5年も働いた…

とりとめのないこと

思えば昨年11月に療養して以来、放浪記と本の感想と掌編が続いて、日記らしいことを書いていなかった。直接書こうが書くまいが、仕事が大変なのは変わらないので、それ一色になるのも避けたかった。 3月から別の場所に行ければいいのだけれど、それは2月半ば…

休養

10/26(月)心療内科を受診。当然ながらオーバーワークだと言われる。何がどうつらいか、その経緯を含めて洗いざらい話した。休んだほうがいい、とのことだった。 「診断書、書きますから、ちょっと休みませんか」 パソコンの画面に映る診断書のフォーマット…

糾弾

10/16(金)決定打を浴びる。 この日のことだけは忘れてはいけないと、4日経って思った。 否定されたくないところを、悔しいけれど否定されてしまった。適性、資質、積み重ねてきたもの。本当なら、その悔しさに奮起するべきなのかもしれない。これまでの自…

孤独の結晶

鬱屈した思いが琥珀のように結晶化するのを眺めている。言葉にしたいモチーフを、思いつくたび書きつけては、それが一つの形を成すのを待っている。書き出すのはまだ早い。器を満たし、やがては溢れ出す想像の欠片が、言葉になってきらめいて、作品ができあ…

何に向かって祈ればいいのか

生きていく不安に押しつぶされそうで、休み明けはいつも慄いている。休日中に前倒しで仕事をしたら、多少は楽になるのかもしれないが、それがどうしてもできない。休みがすべて仕事で塗りつぶされていくことが嫌でたまらないのだろうと思う。結局締切が迫れ…

喪失の恐怖を握りしめる

本音と呼ばれるもの、本心というかたちのないもの、本当の気持ちという確かなもの、それらがいったいどこにどうやって存在しているのか、見失ったまま立ち尽くしてしまっている。そんな心もとなさが苦しい。 空洞を吹き抜ける風は冷たく、その冷たさが余計に…

根本から間違っている

この1年半、何をしてきたのか、というようなことを言われた。自分なりの全力が、たやすくへし折られ、本当に、何をしてきたのだろうと考え込む。言われることはいつも、何もかも正しい。 どうすれば辞められるのか、そればかり考える。

変わらぬ限界

前回の記事から1ヶ月が経って、状況がまったく変わっていないことに驚く。もうずっときついのだな、としみじみ思う。口を開けば弱音が出てくるのを、必死にこらえている。自分のきつさはきっと上司からすれば「この程度」なのだという強迫観念にも似た思いが…

限界

横着、と言われたことについて、考えている。 連日13時間くらい働きながら、片づけても片づけても終わらない仕事に向き合って、やれるだけのことをやって、それでも説教される。仕事のやり方を考える間もなく目の前の期限に向かってなんとか間に合わせるだけ…

今とこれから

前回の日記から1ヶ月。誕生日が目前に迫っている。20代前半というのはもう3年前のことなのだなと、そのことについてあまりうまく整理ができていない。本質的なところは何も変わっていないと思う。もう少し精神的に強くなれるかと思っていたけれど、心は強く…

ただ生きていくだけで

ただ自分のことをわかってほしいというわがままな思いを、いったい誰が聞いてくれるというのだろう。自分のことで精一杯な状況は、これからしばらくはずっと変わらない。 何か書くたび、「自分」という単語が出てくることに嫌気が差す。「自分」中心にしか生…

雑感と向き合うこと

いつからか、今何を思い、感じ、考えているのかを考えなくなってきている気がする。抱えている思いはただ苦しみや情けなさやふがいなさであって、似たような色が混じり合っている。その中のどれか一色を取って何かを描こうにも、同じような絵しか描けないよ…

生存報告

仕事しかしていない、そういう日々を送っている。書くという行為が、あまり予想していなかったかたちで仕事の中に組み込まれてしまったのだけれど、書くために生きているのは変わらない。 書いたものを読んでもらうことは相変わらずよろこびであり、幸せなこ…