喪失の恐怖を握りしめる

 本音と呼ばれるもの、本心というかたちのないもの、本当の気持ちという確かなもの、それらがいったいどこにどうやって存在しているのか、見失ったまま立ち尽くしてしまっている。そんな心もとなさが苦しい。
 空洞を吹き抜ける風は冷たく、その冷たさが余計に、温かった記憶を呼び起こすようだった。失ったわけではないのに、二度と戻れないような、取り返しのつかない場所まで来てしまったような恐怖を覚える。寂しいのでも、苦しいのでもない。ただひたすらに、怖いのかもしれない。傷つくことも、傷つけることも、失うことも。
 自分が何を言っても、どんな行動をとっても、それは何一つ変えることなく、取り戻したいものは霞んだ面影として揺らめいて消えていく。取り戻すという言葉は違うのかもしれない。初めから、手に入れたわけではなかったのだから、あまりに傲慢な言い回しに聞こえてしまう。
 本心から言っていたはずの言葉が嘘だったかのように跡形もなく崩れていくとき、その場所に確かに築かれていた城の残像を、どうやって心に刻めばいいのか。
 わかりたい。理解したい。心の底から思う。わかってほしいより先に、わかりたいがくることに驚く。けれど、自分にしかわかりえないことがもしそこにあるのだとしたら、時間をかけてきちんと理解したいと思う。仮に、そんなものがないのだとしても、理解しようとする姿勢を放棄することだけはしたくない。
 だからおそらく、わかろうとすること、理解しようとすることすら拒まれるのではないかと、怖くなっているのだろう。
 何を信じればいいのか。それとも、信じてはいけないのか。心の向くままに、信じるままに進むことができないことがまた、恐怖につながっているような気がする。
 どんな顔をすればいいのだろう。うまく笑える自信がない。無意識にとってしまう言動を、否定されるのが怖くて。思うままに振る舞うことが、重荷になってしまうことが怖くて。何か言葉を発したことで、新しい傷や亀裂を生んでしまうことが怖くて。完璧にわかり合えることなどありえないのはわかっているけれど、手のひらを返したように、肯定が否定に覆るのなら、大切にしたいと思った言葉は、いつか自分の息の根を止めてしまう。どこまでなら、信じていいのだろう。何をどうすることが、信頼なのだろう。
 裏切られることは、どうしようもなく怖い。あのときから、何も変わらない自分の姿を突きつけられているようで。欠陥を抱えたまま、それでも、生きていかなくてはならない。
 少しは強くなれたと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。人間的に大きくなれた気もしたけれど、大して変わっていなかった。そういうことなのかもしれない。


 ただ、あきらめてしまったら、それで終わりで。
 それだと、何も変わらないまま傷だけが残る。傷ついてもいい。痛みを知ったぶんだけ、理解できる痛みが増えるのであれば。何とか、そう言い聞かせることにする。すべては、大切にしたいからなのだと思う。わかり合えたと確信できた瞬間を、幻にしたくないからなのだと思う。