創作

【掌編】落日

読みかけの本が、読み終わらないまま終わる休日。書きかけの手紙や、色を塗っていない絵の下書き、編みかけのマフラーに、貸しっぱなしの小説。人間は生きているかぎりずっと何かの途中にいる。そして、自身の終わりを経験することはできない。 本を読み終え…

【掌編】地下鉄

地下鉄の窓からは、真っ暗な壁面に規則正しく並ぶ白い電灯と、ガラスに映る自分を含めた乗客の姿しか見えない。行き止まりから行き止まりまでを往復する車両が、トンネルを抜けて白い夜の底にたどり着くことはなく、すでに地の底に延びているレールの上を、…

【掌編】夕凪

水平線上をゆっくりとなぞるように進むフェリーを見ていた。沈んでいく夕陽に照らされ、穏やかに揺れる海が眩しい。港からこうして海を見るのも今日で最後なのだと思うと、日暮れがたまらなく悲しくなって、どうにかして夜を海の向こうに遠ざけたくなる。 荷…

【短篇】祈り

いくつものトンネルをくぐって二両編成の電車が到着した場所は、里という言葉が自然に浮かんでくるほどのどかで穏やかなところだった。辺境特集の企画が組まれた旅行雑誌の取材で、私は都心から三時間ほどかけて、その村にやってきたのだった。 自動改札機は…

【掌編】流木

海岸に打ち上げられた細い流木を拾って、両手で真っ二つに折る。湿った枝は皮だけを残してまだつながっていたので、僕はそれを引きちぎって分断した。二つになった枝を、何の感慨もなく波打ち際に投げ捨てて、すぐに次の枝を探した。誰のものでもない何かを…

【小説】線香花火

僕と彼女が花火をするとき、決まって線香花火が最後を飾った。夜空のてっぺんで華やかに散るよりも、小さく静かに、それでも確かな存在感を残しながら、手元で消えていくほうが、僕も彼女も好きだった。 小学校のときから、毎年僕たちは花火をしていた。それ…

【小説】月面のフード

「月へ行ってみたいとは思いませんか」 猫に話しかけられたのは生まれて初めてだった。 塾の帰り、僕はコンビニの小さな駐車場で肉まんを食べようとしていた。周りに人はいない。僕が座ろうとした車止めの上に、美しいグレーの毛並みを持った、ロシアンブル…

【散文】anonymous

落ち込んでいるわけでなく、前を向いて地に足をつけているわけでもない、ただ宙に浮かんでいるような、そんな心持ち。こみ上げてくる焦りを黙殺しながら、なるようにしかならないなどと言って惰性で努力しているふりをしつつ、その先にある自分の今後の生き…

【小説】最終面接

白い扉を三回ノックする。どうぞ、と声がして、私はノブを回す。 「失礼します」 面接官は二人、真っ黒な長テーブル越しに私を見ている。部屋の壁はすべて白く、窓も何もなかった。岡橋郁子と申します。気付けば私は椅子の横に立ち、名前を名乗っている。確…