夢の通い路

 人が鏡なのだとしたら、そこに映る自分と、その自分の後ろにある背景の街並みもまた、それを映してくれる人間によって姿を変えるのだろうと思う。
 路面電車が向かう郊外の景色は雨に濡れ、新緑の水底に沈んで、ふるさとの川岸にたどり着く。曇天の堤防で、流れる川を眺めながら、言葉がゆっくりと溶けていく時間に身を委ねていた。


 与えたりもらったりでなく、一緒につくっていくのが人間関係なのだとさらっと言葉になって差し出されたとき、肩の力がすっと抜けたような心地と、わだかまりが解けたような実感が湧いた。
 欠けているところを直そうと焦ったり、必死になったりして、とにかくひたむきに頑張り続けることが価値であり美徳なのだと思い過ぎているのを指摘されたようで、痛いところを突かれ、はがゆくもありながら、それでもありがたい気持ちのほうが強かった。


 かつて過ごした街を歩きながら、まったく変わらないもの以上に、変わりゆく建物の姿が増えていることに驚き、さみしさがこみ上げる。変わらないと思っていたものすら、形を変えて街は生きていく。思い出だけがずっとそこにあって、忘れ去られていくまでの間に、少しずつ脚色されながら、輝いていくのだろうと思う。
 人間もまた、変わらないと思っていた部分が、何かの折に変わっていくこともありうる。同じ場所で考え続け、袋小路を抜け出せないままだったのが、霧が晴れたように新しい道が現れたような思いがあった。


 泣いてもいいとは言われたものの、まだしばらくは、泣かずにいられる気がした。去っていくはずの人から言われる「帰っておいで」という言葉には思わず笑ってしまったけれど、何かが変わっていくきっかけにしたくて、大切にしまっておきたいと思った。


 奇しくも続けて雨に見舞われたけれど、雨でよかったという気もしている。雲が去って広がった青空が、初夏の到来を告げていた。季節がめぐってまたどこかで同じ景色を見ることがあればいいなと思う。