何かをつきつめること

 異動が決まって、気忙しく日々を過ごしている。4年過ごした部署、特に2015年からの3年間は、楽しかったこと以上に、きつかった記憶ばかりが思い出される。20代も残りわずかとなり、ここにきてようやく、背負い続けてきた重荷を下ろせることに安堵している。
 新しい部署で、一から学ぶことは多いものの、呼吸のしやすさは全然違っていて、何かにむけて心血を注ぐことが、目指す結果に向けて取り組む過程そのものが、楽しめる場所にいるような気がしている。前の部署でもそういう部分はあったけれど、何もかもが忙しすぎて、身体全体に力を入れ続けていなければ崩れてしまうほどの緊張感を抱えたまま走り続けていたので、気持ちの余裕はほとんどなかった。


 何もかもができる人間は存在しない。完璧とは、目指すことはできても実現することはできない概念だと思う。
 昔から、スペシャリスト、専門家、職人というような、一つのことを突き詰めた人間への憧れがある。できないことは誰しもあるのだから、できることをとことん伸ばし続けたいし、そんなふうにして成功しているひとは素直に尊敬できる。自分もそうありたいと思う。
 ただ、生き方に対するそのスタンスに、異を唱えられることがたびたびあって、しんどかった。できないものをできるようにする努力や、できなかったことができるようになる喜びに、スペシャリストになる以上の価値を置く人間もいる。できないものをできないと、潔くあきらめることを、よしとしない人間がいる。心の底から、息苦しかった。


 並外れた人間になろうと思ったら、並大抵ではない時間を注ぐ必要があるはずで、できないことへの克服に時間を使うより、できることを中途半端にせず、とことん伸ばし続ける生き方を選びたい。どう生きても、どうあがいても、何者にもなれないかもしれないけれど、30歳を目前にしながらも、どうにかして、自分にしかできないこと、特別な何かを成したい思いがあるのだと思う。ひとまず今、そこに打ち込める環境に自分が身を置ける喜びをかみしめながら、一歩ずつ進んでいきたい。