櫓を仰ぎ見る

講義録ひもとく真昼ねむたさは書庫のにほひを伴ひて来ぬ 一首目を読んだときにあふれ出した記憶に、それが今なお自分の中に確かに残り続けていることに震えた。それは紛れもない、あの「書庫」であり、絶版本や遠い昔の文芸誌のバックナンバーを読み漁りに彼…

ごちそうさまでした、と言いたくなって

「食はひとの生理と文化のはざまでいつも揺れている」というのは、鷲田清一氏の言葉で(※)、人間は食べずには生きていけないし、共食が人とのコミュニケーションの大切な手段とされているのは、歴史的にも明らかなことである。けれど、食に対する好き嫌いや…

頂への道しるべ

書くという行為の追究と、それに対する欲求が、衰えることを知らない。シャーペンやボールペンへの愛着から、書き味を追い求めて万年筆に手を出したのが昨年9月。マルマンのルーズリーフから、山本紙業のWriting Padをはじめとする紙の比較にのめり込み出し…

日常に打った点と点をつないで

2022年の1月24日から使い始めたA5の365デイズノート(STALOGY)が、そろそろ最後のページを迎えようとしている。昨年の1月27日の記事に、その書き始めのことを記したときに、「使い切ることを目標に」と掲げていた。実際のところ、1年と約1か月で、全ページ…

地上の見えない沼の深みへ

前回の万年筆(AURORA オプティマ)購入記事から2ヶ月となるが、万年筆はそこから4本増えている。手書きによる幸せが、紙やインクの沼に沈むことによって加速し続けている。自分の気に入ったインクで文字を綴る幸せが、日々の癒やしになった4ヶ月だった。 手…

降り注ぐ極光

その場所を訪れても、諸々の条件が重ならなければ出会えないオーロラのように、良い筆記具との出会いも、そんな希少性や一回性を秘めているものである。 9月3日にペリカンのスーベレーンを購入して、まだ2ヶ月と経っていないのに、そこからすでに2本の万年筆…

ペリカンを飼い馴らす

kawecoのシャープペンシルと、LAMY2000ブラックウッドのボールペンを購入し、筆記具沼に足を踏み入れたのが昨年12月。まだ1年も経っていないというのに、もうここまで来てしまったのかと自分が信じられなくなるが、現実なので仕方ない。そして、たどり着いた…

手足の運動習慣

歩くこと、走ることからずいぶん(といっても1ヶ月ほど)遠ざかっていたので、連休を機に、まずはリハビリがてら歩いてみた。6月末まで続けていたランニングは、夏の始まりだったり雨だったり(今年は特に休日と雨がよく重なった)に妨害されて途絶えており…

文を綴る文月

7月に入ってから、ブログを更新していなかった。忙しいというのはあるが、思っていることを言葉にする機会が日常的に確保できているのが大きいのだろう。 木軸ペンの購入報告から2週間ほど。届いた賞与明細を見て、あのペンを買いに行かねばと某文具店に向か…

はるかなる水無月

悠長という言葉には「~なこと言っていられない(言っている場合ではない)」と後に否定的な表現が来がちで、それがむしろ一般的ですらある。検索をしてみても、「急を要するにもかかわらず」という状況において使われるものだと明記されているケースがあっ…

そなえる

夏の足音が聞こえる、と書くと文学的だが、現実的には夏の繁忙期が近づいてきているのを身に染みて感じている。一つひとつの仕事を手帳に書き入れながら、待ち受ける闘いに向けて頭の中でさまざまな想定を行う。 何度闘い抜いても、うまくいくことといかない…

この世でもあの世でもない場所から

恒川光太郎『白昼夢の森の少女』(角川ホラー文庫) 文庫を心待ちにしていた本。一つ読み終えるたびに、それが短篇に似つかわしくないほどの読み応えを感じる作品集だった(いつも思うけれど、「ホラー文庫」というほどホラーではないので、怖そうだからと敬…

遡上を堰き止めるための何か

このブログには約13年分の自分が詰まっており、公開している記事については、紛れもなくそのとき考えていたことが様々な形で書かれている。読んではいけないものはおそらくないのだけれど、ときどき過去の記事を読み返して、果たしてこれは読んで面白いのだ…

鉛筆の形を思い浮かべて

好きなものについては、きちんと語る言葉を持ちたいと思っている。どうしてそれが好きなのか、何がそんなに良いのかを、他者に伝えられるようにしたい。それは単にさみしさを原動力とした欲求なのかもしれないけれど、好きなものの魅力を語って共感を得られ…

まるい鏡が映すもの

偶然のめぐり合わせで出会った人が、どこか遠く、忘れてしまった記憶の彼方で出会っている人だったらと、現実と物語のあいだをたゆたうように本を閉じる。それが幻想でも妄想でも、そんなふうに現実を意味づけられたら、少しは強く生きられそうな気もする。…

わずか一点の綻びから

長い歳月をかけて緻密かつ繊細に作り上げられた完成品が、一瞬にして崩れ去る瞬間というのは、儚いながらも名状しがたい美しさを放つ。それは打ち上げ花火が夜空に開花する瞬間や、桜が散りゆく瞬間に代表されるような、日本的な美の性質と言えるのかもしれ…

祭りの後

尾道への再訪と、東尋坊への突発的な挑戦を経て、考え続けていたのは人間関係のことだった。 大学時代のことを振り返って、もっと人間関係を広げておけばよかった、と一人旅をしながら思う。 当時、片道2時間の通学をしながら、専攻の友人たちと本や研究の話…

堆積する揺らぎ

年齢は「重ねる」「召す」と言う。土砂や泥が積み重なって地層が現れるとすれば、経験が堆積してできる年齢はどのような地層で現れるのか。時間を身にまとうことはできないけれど、外見も内面も、生成と破壊をつねに繰り返しながらそこにあって、絶えざる運…

居場所と人脈

職場での人間関係が広がっている。11年も続けていると、さすがに自分のことを知っている人も増え、仲良くさせていただくことも増える。合う、合わないはもちろんあるけれど、おおむね円満に、楽しく仕事ができている。居心地もよく、やりがいも大きい。 SNS…

手元から悠久へ

桜を撮りに行きたい季節になったのに、迎えた休日は雨で、続いていた暖かさも一転して冷え込んでいる。どこに休日がくるか毎年読めない時期なのだけれど、もともと今年は運悪く、平日でなく日曜日が休みとなっていたり、次の休みも土曜日だったりで、撮影は…

木と交わす契り

昨年末に木軸のボールペン、LAMY2000ブラックウッドを購入してから、木製のペンに惹かれるようになった。筆記具を調べていくと、きっと必ず出会うのだろう、木軸のペンをたった一人で作る職人、永田篤史さんの工房楔(せつ)の木軸ペンに、年始から惹かれ始…

会話が開く余白現象を目指して

2022年1月、これが10本目の記事となる。ここまで本の感想が5つ、文具の話が3つ、掌編小説が1つ。雑で適当にならないように、一定の長さのものをと思って、この量を1か月に書いたのは、たぶん働き始めてから初めてのことだと思う。 が、さすがに今回、仕事が…

そこはかとなく書きつくれば

スケジュール帳以外のノートを使うのが苦手だった。 美しいノートは世の中に溢れているのに、それを手にしても、どう使うのが良いのか、わからない。「何を書いてもいいから自由に使おう」そう思って、何かを書くために買った何冊かのノートは、いずれも最後…

【掌編】落日

読みかけの本が、読み終わらないまま終わる休日。書きかけの手紙や、色を塗っていない絵の下書き、編みかけのマフラーに、貸しっぱなしの小説。人間は生きているかぎりずっと何かの途中にいる。そして、自身の終わりを経験することはできない。 本を読み終え…

閉じられた表現をまとって

鷲田清一『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』(ちくま文庫)を読了した。 著者が高校生に向けて語るように書いたもので、平易な言葉で服装を通した自己と他者に関して書かれている。主題であるファッションとはあまり関係のないところで、いろいろと思…

文具沼のほとりから【後篇】

木軸のボールペン、LAMY2000ブラックウッドの書き味が良すぎる。 手触り、握り心地、書きごたえと、どれをとっても素晴らしく、手で文字を書くことがそれほど好きではなかったはずなのに、ずっと書いていたいとすら思える。優れた筆記具は、使う人間の思考や…

文具沼のほとりから【前篇】

文房具熱が高まっている。その高まり方が年末にかけて結構急激だったので、改めて2021年の文房具事情を振り返ってみたい。 働き始めてから2021年で11年目になることを思って、4月にボールペンとシャーペンをそれぞれ新調した。ボールペンはジェットストリー…

物憂さは影となりて消えゆく

竹西寛子『式子内親王|永福門院』(講談社文芸文庫) 形而上へ思いを馳せる和歌が、「新古今集」の頃から存在していたということ。夢とうつつのあわいを彷徨うその言葉に「憂き世」を思わざるをえない(「式子内親王」)。そして、叙景に徹することで逆説的…

失われつつある情緒を求めて

岡潔『春宵十話』(角川ソフィア文庫) 「人の中心は情緒である」と始まる数学者のエッセイは、響いたり刺さったりする言葉が多かった。 数学という、論理の極北にあるような営みも、それは自然との調和を抜きにしてはかなわず、それを可能ならしめるのは人…

読めなかった本を読むために

読もうとして、うまく自分の感覚と合わなかったり、難しいと感じたりして、挫折してしまった本がたくさんある。それらは、挫折したとはいっても、人生において一度は憧れ、自分の糧としたいと願った本たちであり、文学史上に名が刻まれている以上は、その刻…