【掌編】流木

 海岸に打ち上げられた細い流木を拾って、両手で真っ二つに折る。湿った枝は皮だけを残してまだつながっていたので、僕はそれを引きちぎって分断した。二つになった枝を、何の感慨もなく波打ち際に投げ捨てて、すぐに次の枝を探した。誰のものでもない何かを、意味なく傷つけることだけが、今ここに自分がいる理由なのだと思った。
 また一つ、手ごろな枝を拾う。もともとは太い幹の、立派な樹木の一部だったのかもしれない。想像もつかない過去から切り離され、流木は枯れ枝として、大した理由もなくそこにある。意志も希望もなく、ただそこにあるということで言えば、自分自身も流木と何も変わらなかった。大きくて立派な組織から離れ、どこへ行くともなく歩いた結果たどり着いたのが、この海岸だっただけのことだ。曇り空の下、冷たい風が運んでくるのは、濁った冬の空気だった。
 打ち寄せられる波に揺れる木の枝は、乾いた悲しみを伴って自分と重なった。誰の意志でもなくそこにただ流れ着いた枝が惨めに思え、僕は一つひとつ拾い上げて折り続けた。細いものは両手で、太いものは膝を使って折った。枝を折りながら、それらの枝の一つひとつは、自分に折られるためにそこにあるのだと、勝手な意味付けを行った。同時に、こうして枝を折ること以外に何もすることのできない自分の情けなさを思って、枝を握る手に力をこめた。
 折った枝の欠片の一つを、海に投げた。寄せては返す波に揺られ、しだいに遠ざかっていく。誰にも行き先はわからない。折るには太すぎて、容易に動かすこともできずに放置してある大きな流木のように、流された場所でただどうすることもできないよりは、ずっといいのではないかと思った。砂のついた両手を眺め、自分自身の身体すら、へし折ってしまいたくなった。首を、腕を、腰を、膝を、次々に折り、引きちぎられてばらばらになって海を漂い始める自分の身体を、魂だけになった自分が見つめている。どこか遠く、何も知らない場所へ、流されたかった。流された場所で、忘れられて朽ちていきたいと思った。
 ここに来る前にすでに折られてしまった心は、今ごろ水平線の彼方へと流されているはずだった。
 会社を辞めると伝えたとき、折った本人は血相を変え、自分が折った僕の心を呼び戻そうとしたけれど、そのときにはもうそれは、僕自身ですら手の届かないところへ運ばれていて、どうすることもできなくなっていた。もう少しだけでも頑張ってみれば、とか、これまで積み重ねてきた君の経験はこれからも必要だ、といった、上滑りする言葉だけが、空洞になった胸の中を通過していった。何の感情も湧かなかった。僕は下を向いたまま、ただ首を横に振り続けた。それ以上、一瞬たりともその場にいたくなかった。
 目の前ににじむ淀んだ記憶を通して鈍色の水平線をただ眺めていると、波の音がいつしか耳障りになって、僕は海岸を後にしようとした。けれど、波打ち際を離れて立ち去ることが、どうしてもできなかった。どこかへ行きたいという意志はすでになく、どこへ行っても同じだという思いが、身体の底からこみ上げてきていた。流されてしまった心が、遠くで自分を呼ぶ声が聴こえ、すぐに消えた。どこかへ流れ着く前に、海の底深くに沈んでしまったのかもしれない。
 折れそうな枝は、もう近くに落ちていなかった。
 僕はその場にうずくまり、声を殺して泣いた。どうして自分が泣いているのかわからないまま、涙だけがとめどなく溢れ、砂浜に吸い込まれて消えていった。