【散文】anonymous

 落ち込んでいるわけでなく、前を向いて地に足をつけているわけでもない、ただ宙に浮かんでいるような、そんな心持ち。こみ上げてくる焦りを黙殺しながら、なるようにしかならないなどと言って惰性で努力しているふりをしつつ、その先にある自分の今後の生き方を時折真剣に見つめている。
 そんな自分を、後ろから見ている「私」。


「私」は言う。これまで展開されてきたことも、ここから展開されていくのも、ある物語のひとつに過ぎないのだ、と。あなたの思念が、行動が、「私」の紡ぎ出す物語になっていく。あなたは「私」が書き出す一人の登場人物なのだ、と。


 悩み苦しめば苦しんだことがページに刻まれ、喜べば笑顔が言葉になる。どんな感情がそこにあろうと、「私」はひとしく筆をとり、言葉を刻みつけていく。一度書かれてしまったものは、読み返すことはできても、二度と書き直すことはできない。私の生は文字通りページに刻み込まれ、それは誰かに読まれるための物語になる。
 では、そんな物語を誰が読むのか。それは書き上がってみなければわからないことであり、物語が書き上がるときとはすなわち、私が死を迎える瞬間を意味する。何のために「私」が私の物語を書き、一体誰がそれを読むというのか。それを知ることは、私には永遠に不可能なことなのだ。


 私が「私」の存在に気付いたのはいつのことだっただろう。初めて面白半分に自分で小説を書いた瞬間だったかもしれないし、あるいは就職しようと四苦八苦し始めた瞬間だったのかもしれない。何かを書き始めたとき、自分の過去を顧みたとき、いずれにせよそこには何らかの物語の片鱗が見えていたのだと思う。そしていつからか、それを書き連ねている「私」の姿が、はっきりと現れた。


 これは記録ではない、と「私」は言った。そんな事務的で面白みのないものなんかじゃない。あなたの思いや行為はすべて、ひとりの人間の存在そのものであり、ひとつの物語を織り成すための、かけがえのない一文になる。あなたが考え行動することは、あなたの物語の世界そのものを動かすことになるのだ、と。


 そうやって私に語りかける「私」の言葉を、最初は確かに信じてもいた。けれど、すぐに私は騙されているのではないかと疑いを持ち始めた。
 私が考え、動くことが、「私」に筆をとらせ、物語を先へと進めるのではないのではないか。私は「私」の書く生を生かされているのではないか、と。
 そう考えた途端、あるいはそうかもしれない、と「私」は言う。あなたが思いをめぐらせて動く瞬間と、私が思いをめぐらせて動くあなたを書く瞬間はぴったりと同じで、そこに後も先もない。時間はただ、川が上流から下流へと流れていくように、ひとしく流れていく。それは私にとっても、「私」にとっても同じことなのだ。


 では、あなたは一体誰なのか。
 私がそれを問うたとき、「私」は何も言わず、私をただ見つめた。こたえるまでもなく、あなたも本当はそれをわかっているのでしょう? そう言いたげだった。


 私が「私」の物語を書き始めたのは、それから間もなくだった。私は私を書く「私」の物語を書き、そんな私の物語を「私」は書き続ける。私が書くのをやめるときは、「私」が死ぬときであり、「私」が死ぬのはすなわち、私が死ぬときである。
 私は「私」を自分の物語に組み込むことで、なすすべない物語の支配下から抜け出たかった。けれど、言うまでもなくそんなことはできるはずがないのだった。私と「私」が重なり、「私たち」となったとき、そうやって一体となった私たちの物語を書いている誰かがいることを、すぐに私たちは知るのである。


「彼ら」は言う。あなたたちは「私たち」が書き出す二人の登場人物に過ぎないのだ、と。