【小説】線香花火

 僕と彼女が花火をするとき、決まって線香花火が最後を飾った。夜空のてっぺんで華やかに散るよりも、小さく静かに、それでも確かな存在感を残しながら、手元で消えていくほうが、僕も彼女も好きだった。
 小学校のときから、毎年僕たちは花火をしていた。それは、僕の家の前の私道でひっそりと行う、年に一度の恒例行事だった。
 けれど、今日の花火は三年ぶりになる。
「まさか別れたのに一緒に花火してるなんてね」
 コンビニで買った花火の袋から蝋燭を取り出して、彼女は言った。
「断らなかったくせに」僕はライターでそれに火を点した。
「だって、珍しかったし。最後は三年前だっけ?」
「そうなるかな」
「もう三年かあ」
 彼女はアスファルトの上に蝋を垂らして、蝋燭をそこに立てた。風は無く、小さな炎は消えることなく揺らめいている。僕はそれを見ながら、付き合っていたときのことをぼんやりと思い出していた。
 あまりに友達でいた期間が長かったせいで、いざ恋人同士になってみると、何ともあっけなく関係がこじれた。楽しかったのは初めの一ヶ月だけで、特別な思いや関係の新鮮さなんて、それこそ花火みたいにすぐ燃え尽きてしまった。単なる喧嘩はどこか戦慄したものをはらんで、お互いに得体の知れない負担を抱え込むことになった。
 高校三年になって、大学受験と向き合うようになると、僕たちは途端に何も話さなくなった。実際に付き合っていた時間は、半年にも満たなかった。
 だから最後に花火をしたのは、高校二年の夏だということになる。
「なんで今誘ったの?」
「二十歳になったから」
 僕は即答した。強いて挙げる理由は、それしかなかった。先週誕生日を迎えて、ふと思い出にひたってみたら、本当に何となく、花火が恋しくなった。
「それだけ?」
「そう。久しぶりに花火がしたかった」
「友達とか彼女と一緒にやればいいじゃない」
「みんな忙しいんだよ」
「もしかして、暇だったの私だけ?」
「そうなるかな」
 僕たちは笑った。人通りのない道の上で、声は涼やかな夜風に乗って舞う。もちろん僕は初めから、彼女以外を誘っていない。そしてきっと、彼女もそれをわかっている。
 花火を始めると、僕たちはほとんど喋らなくなった。昔と同じような順番で、袋の中から花火を取り出し、その先端に火を点す。
 色とりどりの火を放ちながら、あっという間に消えゆくそれらを、僕も彼女も、同じようにただ見つめていた。咲いては散った思い出を、その火が輝く一瞬が照らす。
 お互いが今何をしているかなんて、どうでもよかった。現在も未来も、夜の闇に溶け込んでしまっている。
 その闇の中を、三年という時間を経て光る花火は美しかった。二十歳になっていなかったら、きっとそんなふうには感じなかっただろう。何も変わらないはずのその光は、まったく違うもののように思えた。
 気が付いたら、残っているのは線香花火だけだった。
「最後だね」と彼女は言った。
 それは単純に、今日の花火がもう終わるという意味で言ったのだと思う。けれどそのとき、僕たちの花火が、今年を最後に終わってしまうような、そんな気がした。
 それでも僕たちは一緒に、線香花火に火を点した。
 わずかな沈黙のあと、球状になった二つの小さな火が、ぱちぱちと音を立て始める。
 彼女は何を思っているのだろう。微かな明かりに照らされる横顔は、僕が知っている彼女より、ずっと大人びていた。
 僕と彼女の間にある、深い夜空を、小さく儚い花びらが彩る。蘇った過去を閉じ込めて、二つの明かりは揺れている。
 この火が消えたら、僕たちが二人で過ごす夏も終わる。懐かしさは燃え尽きて、真新しい記憶だけが残るだろう。ささやかで、派手でも華やかでもない、たった一瞬の記憶。
 小さくなっていく二つの火を、僕と彼女は静かに見つめている。

(二〇〇八年七月十九日完成 五枚)