【短篇】祈り

 いくつものトンネルをくぐって二両編成の電車が到着した場所は、里という言葉が自然に浮かんでくるほどのどかで穏やかなところだった。辺境特集の企画が組まれた旅行雑誌の取材で、私は都心から三時間ほどかけて、その村にやってきたのだった。
 自動改札機はなく、駅員に切符をそのまま渡して改札を抜け、小さな駅舎を出ると、さっきまで晴れていたはずなのに、雨が降り始めていた。瓦屋根の民家が数軒建ち並んでいる以外は視界のほとんどが水田で、その向こうに深い緑の山々が見え、稜線は分厚い雨雲に覆われていた。私は鞄から折り畳み傘を取り出した。
 人通りのない駅前から少し歩いたところにバス停がある、と事前に調べた経路を思い出す。取材する場所は、観光地として語られることもない辺境、あるいは秘境とさえ言えるところで、「地図に載っていない絶景」と銘打ったページを飾るにふさわしい写真が必要だった。とはいえ、記事として紹介する目的は、そこに今よりたくさん人が訪れることで、その場所を含む地域を豊かにしたいということもあった。写真集代わりに買えてしまう安価な雑誌だけれど、写真をきっかけに、その場所に実際に足を踏み入れる人がもっと増えてほしいと私は思っていた。


 線路から遠ざかるようにして数分歩いた先にあったバス停のベンチには、先客がいた。駅を出て最初に見かけたその人は、しわだらけの両手を組んで、じっと何かに祈るようにうつむいていた。申し訳程度の屋根の下で、静かに目を閉じている。老人は傘を持っていないようだった。となりに腰を下ろした私を一瞥することもなく、彼は黙ったまま祈りの姿勢をとっていた。屋根を打ちつける雨音だけが響いている。次のバスが来るまであと三十分ほどだった。
 老人に、この土地のことを訊ねてみようかと思ったけれど、お祈りの邪魔をするように思えてはばかられた。眠っているわけでもないようだったが、退屈しのぎの会話ができそうな感じもしなかった。ただ、バスを待つその三十分の間、身じろぎすらしないでじっとしているわけにもいかないだろうと思い、老人が祈るのをやめる瞬間を待ってみようと私は考えた。読みかけの本を鞄から取り出すことはせず、周りの景色を眺めながら、老人を観察してみることにする。
 道路をたどった先には小さなトンネルがあって、その向こう側は暗くてよく見えなかった。電車に乗っている間に幾度となく通り抜けたトンネルを思い出し、改めてこの場所が、深い山の中にあるのだと実感する。一定の間隔で街灯はあるけれど、日が沈んでしまえばきっと、目の前にあるものもよく見えないほど暗いのだろう。バスに乗った先の川沿いには、ホタルが生息しているらしい。澄んだ水辺を照らすそのほのかな光を想像し、地上に生まれる天の川の幻想に、私はしばらくの間ひたっていた。

 十分ほど経ったものの、老人はぴくりともせずじっとしている。頼りない背中が微かに上下しているけれど、その呼吸が寝息ではないことはなんとなくわかった。もしもそのまま息をするのをやめてしまったら、近くの病院から救急車がここにたどり着くまでどのくらいかかるのだろう、と私は不謹慎なことを思う。
 雨脚が強まってきていた。屋根を打ちつける雨粒が大きい。風がないのでかろうじて濡れずに済んでいるけれど、足元は水浸しになっている。老人の履いている靴は革製の歩きやすそうな紐靴で、ずいぶんと使い込まれているのがわかった。左右対称のきちんとした結び目が、姿勢正しく祈りを続ける老人の性格を表しているように思えた。
 そういえば、亡くなった祖父も靴を大事にする人だったと思い出す。亡くなる直前まで海外のあちこちを旅行していた祖父の靴は、取材で国内を歩く私のスニーカーよりも遥かに年季と風格が漂っていて、それでいて愛情深く履き続けられているのもわかって、少しうらやましかった。愛着がにじみ出るほど長く同じ靴を履き続けた先には、いったいどんな景色があるのだろう。遺品を整理した後も靴箱に仕舞われているその靴を、私はもう一度見てみたくなった。
 まさか初めて訪れる場所で、見知らぬ老人の靴から忘れていた記憶を思い出すとは思わなかった。懐かしさとは違う不思議な温かさが、雨音に混じっている。軽トラックが一台通ったきり、車も全然通らない道の果てに見える古民家を、私は静かに写真に納めた。

 
 バスが来るまであと十分ほどだったけれど、老人はまだ祈り続けていた。昔、何かの写真集で、バス停のとなりにある地蔵菩薩に向かって拝んでいる人を見たことがあるのを思い出した。モノクロの写真は静かにその姿を伝えていたが、この場所には拝んだり祈ったりする対象になりそうなものはない。正面には雨が降り注ぐ水田があるだけで、偶像と呼べるものはおろか、信仰の対象になりうる岩や大木のようなものすら見当たらなかった。
 バス停でこうして座っているのだから、もちろんバスを待っているわけで、老人はどこかから別の場所に向かう途中なのは間違いない。改めて、彼はどこからどこへ行こうとしているのか、私は気になった。手荷物もなく、それほど遠いところへ行くわけでもないだろうし、独り身だとしたら、生活に必要なものをどこかに買いに行こうとしているのかもしれない。けれどそれならどうして祈る必要があるのかわからない。
 あるいは、大きな病院へ通院しているとも考えられる。もしくは、誰かが入院しているのを見舞うためかもしれない。重い病気の手術なら、その人の無事を祈るのは当然だろう。その人が老人にとって大切な人なら、なおさら祈りをやめずにはいられないはずだ。
 いくつもの推測を重ねながら、私は老人の祈りの意味を考え続けた。


 トンネルの向こうに、二つの光が見えた。ワイパーをしきりに動かしながら、バスがやってきた。私は傘と荷物を持って立ち上がる。いよいよ老人も目を開け、祈りをやめる瞬間がきたと思い、となりに目をやった。
 しかし、老人は結局、祈るのをやめなかった。
 私がバスに乗り込み、座席からバス停を見下ろしても、老人は固く目を閉じたまま、両手を組んだ姿勢を崩すことはなかった。真一文字に結んだ口が開かれることもなく、まっすぐに揃えられた両足はぴくりとも動かない。おじいさん、と私は思わず声をかけたけれど、老人には聞こえているのかどうかすらわからなかった。
 バスの扉が閉まった。私はとっさに鞄からカメラを取り出し、バス停に向かってシャッターを切った。何かそこに、残しておかなければならないものがあるような気がした。雨は勢いを増し、バスはゆっくりと動き始める。白くけぶるバス停と、祈り続ける老人だけを残して、どんどん遠ざかっていく。どうして、と私は思いながら、カメラを鞄に仕舞った。
 車内に乗客は誰もいなかった。私は座席に荷物を置いて、運転手のところに行って訊ねた。
 さっき、バス停におじいさんがいたんですけど――
 おじいさん、ですか? 運転手は気づいていないようだった。よく見えなかった、というわけでもないだろう。私は訊き直した。私と一緒にバス停にいたんですが。運転手は首を振った。そんなはずはと思い、私は座席に戻って鞄を開け、カメラを持ってもう一度運転席まで行った。この人なんですけど――
 と、私は撮ったばかりの写真データをカメラの画面に表示させて差し出した。赤信号に差しかかり、運転手がこちらを向く。
 ――どの人ですか。
 え、と私は言葉に詰まった。運転手は首を傾げている。見てわからないのかと画面を確かめた瞬間、私は二の句が継げなくなった。
 画面には、誰もいないベンチとバス停だけが写っていた。静かに祈りを捧げる老人の姿は、影も形もなかった。私は思わず運転手に言った。あの、確かにさっき、おじいさんが一緒にいて、ずっと両手を組んで祈っていたんです。
 青信号になり、バスが動き出す。運転手は前を向いて、ああ、と何かを思い出したように言った。
 昔、この辺りには隠れキリシタンの方々が住んでいらっしゃってね。今はもう、跡を継ぐ人もいなくなって、ほとんど残っていないそうなんですが。弾圧が厳しかったころは、この辺りを拠点に活動していたみたいですね。当時は公の場でキリシタンだとばれちゃいけないので、両手を組むとき、親指と親指を斜めに重ねて十字を作っていたんだと聞いたことがあります。そうやって祈れば、表向きはわからないけれど、きちんとその祈りは届いているんだ、って。確か、あのバス停の近くに、礼拝に使っていたほら穴があったんじゃないですかね。
 私は運転手の言葉を聞きながら、雨の中で静かに祈りを捧げる老人の、しわだらけの手を思い出していた。両手の親指をきちんと重ねて作られた十字架が、まぶたの裏にはっきりと焼きついていた。