揺らぐ日常と確かな言葉

 「日常」という言葉について思う。それは「普通」という言葉と同じくらい、不確かで、危うげで、もろいものなのかもしれず、だからこそ、そういったはかなさを実感したとき、その瞬間をいとおしく思い、大切にしようと思える。そんなことを考えさせてくれる一冊にめぐりあった。


 東直子 『ゆずゆずり』(中公文庫)


 東さんの作品は、穂村弘さんとの共著である『回転ドアは、順番に』(ちくま文庫)と、歌集『十階』(ふらんす堂)を読んでいただけで、散文を手に取るのは今回が初めてだった。読めば絶対に好きになるのがわかっていたのだけれど、何から手に取ろうか迷ったまま、決めきれずにいつも立ち読みで終わってしまっていた。ただ、今回、帯の「随想」という言葉に心が動き、「解説 堀江敏幸」という言葉にわしづかみされ、立ち読みして、日常を描いているようで単なる日常とは一線を画すものを感じ取り、絶対に読まなければと思い至った。


 物語は、と言っていいのかどうなのか。冒頭は、「新しい街の新しい建物を急遽出なければならないハプニングがおこ」ったため、「『柚』という文字の入った」土地の「仮住まい」に、ある家族が住むことになったところから始まる。同居人は「生まれ月にちなんで、イチ、サツキ、ナナ」、「わたし」は「シワス」である。普通の四人家族ではなく、それぞれが仮の名前をあてがわれており、読み進めれば誰が夫で娘なのかがなんとなく見えてくるけれど、性別も何も書かれないまま、仮住まいでの暮らしがスタートする。


 綴られていくのは一見平凡な日常で、劇的な何かが起こるわけでもないのだけれど、淡々とした日々の移ろいは、つねに「仮住まい」の上で実感され、不安定な心持ちの土台に、よろこびやかなしみが揺れ動く。


 語り手の「シワス」を通して書かれる心の揺らぎのなかに、特別なメッセージが込められているわけではない。それなのに、東さんの文章は、些細だけれど大切な事柄を、すんなりと切り取って並べていくようで、何気ないはずなのに、読んでいるとじわりと心に温かいものが込み上げてくる。
 とりとめのないことを、なんとなく考えている時間というものが、そしてそれを繰り返すということが、とても尊く、愛しく思えてくる。


 仮住まいをあてがわれていた彼らは、やがて新しい街へと引越しを決め、荷物をまとめる。悩み抜いて新居を決めるわけでもなく、あっけなくそれは決まり、寒い寒い雪の日に引越しが決行されるのだった。
 もうここには二度と戻らないのだなと、そんな後ろ髪をひかれるような思いを携えて、街を後にする場面は、自分が十年間暮らした街から去るときのことを思い起こさせた。
 そして、新しい住まいに慣れてから、改めてかつて住んだ街を訪れたときの思いもまた、不意に語られ、心をふるわせる。


 ――なつかしい、という感情が生まれたとき、ここがもう、よその街になってしまったのだ、ということが確定した気がする。


 ためらいがちな読点と、「しまったのだ」という断定のあとに、「確定した」と念を押しながらも、「気がする」というまだそれを認めていない心の揺らぎがそこにあるように思えて、かつてそれが自分の抱いた思いと重なるようで、何とも言えない気持ちになった。何気なく並べられた言葉があまりに的確に本質を突いていて、何度となくはっとする。付箋を貼らずに読み通したことを、激しく後悔した。大切にしたい言葉がたくさんあった。


 そこに綴られていることが、あまりに自分の好みに合っていたばかりでなく、過去と重なり合うものを確かに感じ取ることができて、大切にしたい一冊になった。たくさんのひとに薦めたい。


 何より、未読のまま手を出さずにいた東さんの作品が、まだまだたくさんあることが、とてもうれしい。大事に読み進めていきたいと思っている。