物憂さは影となりて消えゆく

 竹西寛子式子内親王|永福門院』(講談社文芸文庫

 

 形而上へ思いを馳せる和歌が、「新古今集」の頃から存在していたということ。夢とうつつのあわいを彷徨うその言葉に「憂き世」を思わざるをえない(「式子内親王」)。そして、叙景に徹することで逆説的に顕在化する思いがしみわたる(「永福門院」)。いずれの和歌に沿う考察も、日本語の重みが掌と心に響いた一冊だった。感想をツイートしたり、思いつくまま書いていたら、結構長くなってしまったので、こうして記事にまとめることにした。

 

「永福門院」における、叙景の和歌について、それが自然を仮面として自身の「詞に現れぬ余情」を表現している、というのは考えたことのなかった視点だった。思いを自然に託すというのではなくて、思いを自然に隠すことによってその存在を際立たせるという、そういう意味での借り物の自然。ままならぬ思いを、いかにして自然に託そうかと呻吟するのではなく、ままならぬ思いを抱えて向き合ったときに立ち現れる自然の姿に、透徹した眼を向けること。その結果として表現した自然に、自身の思いが隠れるというかたちで宿るのだろうか。李白漢詩「黄鶴楼に孟浩然の広陵に之くを送る」が思い出された。「孤帆の遠影碧空に尽き唯だ見る長江の天際に流るるを」は、惜別の思いを景色に託して(あるいは隠して)詠まれたものである。

 

 直接的な物言いの一切を捨て去り、ただ目に映る景色を、見えるさまを一心に表現すること。その境地に憧れはするものの、日常では便利で短絡的な言葉をつい並べて満足してしまう。それで何かを言った気になるというのは、怠惰なことなのかもいしれないと思わされる(でもしんどいときはしんどいとしか言えないですよね)。言葉には真摯な姿勢で向き合いたいと思うけれど、厳しさというか余裕のなさみたいなものを抱えているようには見られたくない、とは思う(他人の言葉遣いに不寛容というか狭量な人間ではいたくない。関西弁の使用には何よりノリとテンポが重要だと言えよう)。

 

 そういうわけで(?)、半ば意図的に小説以外を三冊、年明けから立て続けに読んだ。
 山崎正和『リズムの哲学ノート』、岡潔『春宵十話』、竹西寛子式子内親王|永福門院』と、ジャンルは異なれど、そこにあるのは観念と決して分離できない身体性のような気がする、とまとめるのは強引だろうか。
 詩人の石原吉郎が「望郷の海」で「およそいかなる精神的危機も、まず肉体的苦痛によって始まることを信ずるようになった」と判決が告げられたときのことを回想しているように、心の痛みは思考も言語も超えて、直接身体に現れる。奇しくもフランス文学者の前田英樹氏の文章に触れる機会もあって、山崎正和氏の『リズムの哲学ノート』から立て続けにメルロ=ポンティを示唆されてしまった形である。読めば読むほど、大学でなぜフランス語を選ばなかったのかという気持ちになる(何も後悔はしていないが)。ハイデガーで卒論を書くうえではドイツ語の履修しかありえなかったし、それは良かったと言えるのだけれど、文学的な志向はどうあがいてもフランス語のほうに収斂していくのが面白い。

 

 とりあえず、こうして数冊を読んで、自分のなかに言葉がその経験と知識と響き合うのをきっかけに、思考を巡らせ思想史や文学史を逍遥するような試みはずっと続けていられる。そういう話をずっとしていたいと思った。結局年が明けて仕事が始まってしまえば、仕事の外で誰かとしゃべることがなくなるので、趣味としての会話ができる場所がない。双方向の会話が望めないままに、思うことをつらつらと書いて、ブログの記事へとまとめ直してみたら、結構な文字数に達してしまった。雑談に飢えた人間の末路の記録として、ここに刻んでおく。