文章のゴシック建築

 幻想、という言葉の響きは、いつだって言い知れぬ魅力に満ちている。けれど、魅力を感じながらも、これまではずっとそびえ立つ言葉の城を、遠目から眺めていただけだったように思う。城門はつねに開放されていたにもかかわらず、外観の美しさから、一度入ってしまえば二度と出られないような気がして、その門をくぐることができなかった。
 ただ、城壁の向こう側から響いてきた美しい声に誘われ、偶然出会った案内人の言葉に背中を押されるようにして、このたびようやく、城内に一歩踏み出すことができたのだった。


 山尾悠子初期作品選 『夢の遠近法』(国書刊行会


 幻想文学と呼ばれるジャンルは、これまであまり読むことがなかった。というのも、現実と地続きの文章で、空想的な要素を用いずに日常を切り取りたいと思い続けながら、ものを書いてきたからだと思う。とはいえ、言葉による現実からの飛翔に、憧れを抱かなかったと言えば嘘になる。
 この作品への心酔が、それを明らかに物語っているように、われながら思う。


 色彩の異なる短篇が収められているとはいっても、初めに感じた印象は、文章のゴシック建築、である。荘厳な外観、華美な装飾が施された門扉に、空へと伸びる尖塔。神に近づこうとするかのように思える文章に、冒頭から酔いしれた。
 信じられないほど完成度の高い処女作、「夢の棲む街」の異様なまばゆさに、目がくらんだ。


 しかし、同じ色彩を並べることなく、京都が舞台となる「月蝕」が二話目に書かれているのは、作者本人も書いているように、非常に大きな意味のあることだと感じる。続けて読みながら、架空の世界から現実へと帰還できた安心感があった。
 とはいえ、当然その安心感の先に待っているのは、息をつく瞬間ではなく息を呑む瞬間で、読後には心が大きく波打った。


 月はこの一冊のなかでも重要な意味を持つ存在として描かれていて、「ムーンゲイト」、「遠近法」、「月齢」と、その神秘性を改めて感じさせる作品が並ぶ。


 短いページ数ながら、ちりばめられた言葉は宝石のような輝きを放ち、ひとつなぎの文章となってきらめく。不穏な暗闇のなかで煌々と光る月のように、妖しさをともないながらもその先に待っている結末に向かって、心を惹きつけてやまない。
 そして、自分が陶酔しながら見つめていたのは実物でもなんでもない、一枚の絵画だったことに気付かされるような驚きも、そこにはあった。


 気が付けば、現実から遠く隔てられた世界で、鐘楼から月影に照らされた荒野を眺めている自分がいる。ページが続くかぎり明けることのない幻の夜に、ずっと身体を預けていたかった。


 まともな感想を綴ることができないくらいに、毒されていると言ってもいいのかもしれない。ただそれを、読み終えてしまえば消える幻だと断言することはできないように思う。言葉のみで築き上げられた幻想的な世界も、確かにこの世界と隣り合っている。背中合わせに息づくその世界は、つねに微かな呼び声を、現実に響かせているのではないだろうか。
 想像力をその鍵穴に挿し込めば、扉の向こうにはいつだって行くことができる。


 またいずれ、鐘楼に上って、妖しく光る月を眺めたい。