愛と死の円環をたどって

 殺意と愛が、薄い紙の表と裏に描かれていて、風が吹くたび代わる代わるはためいている。それはあまりに危うく、あまりに心もとなく、それゆえにその身を支える一本の柱と、そのよりどころを求めてしまうのかもしれない。


 沼田まほかる 『ユリゴコロ』(双葉文庫


 結婚を間近に控えた語り手が、次々と不幸な出来事に見舞われる中、父の病床を訪ねたときに、「ユリゴコロ」と書かれた手記を発見する。そこに書き連ねられたのは、人を殺めることの恍惚を心に住み着かせた人間の、生々しく恐ろしい告白文だった。


 誰が、何のために書いたノートなのか。なぜそれを父が隠し続けていたのか。書かれていることはどこまでが事実なのか。四冊あるノートを読み進めるうち、〈僕〉はそこに書かれた出来事と自分自身の存在が、決して無関係ではないことを悟る。


 ほぼ一気に300ページを読ませる筆力に心をわしづかみされ、呑み込まれるようにページをめくり続けた読書体験だった。物語の中で起こる現実の出来事と、手記に書かれたことが静かに重なり合うとき、必然的な着地点が目の前に現れ、その優しい光のまばゆさにそっと抱き留められるような感覚がやってきた。


 人は、何かを背負って生きている。犯した罪や過ちが大きかろうと小さかろうと、それを背負って歩いている以上は、どこかで誰かの生と交わり、その重みを分かち合うのかもしれない。世代を越えて、抱えた宿命の重さを思い知りながらも、それでも出会ってしまったその事実に、特別な意味づけをしたくなってしまう。
 人間と人間のあいだに生まれたつながりの必然性とその意味を、深く問うてくるような一冊だった。恐ろしくも美しい宿命の円環を、そこに見たような気がした。