失われゆくものたちとともに

 小川洋子[著] 『ブラフマンの埋葬』(講談社文庫)
 小川洋子[著] 『密やかな結晶』(講談社文庫)


 昨日、今日と続けて読んだ小川さんの小説。思えば高校2年の頃に現代文の教科書に載っていた「アンジェリーナ」に惹かれて『博士の愛した数式』を手に取るに至ったのだが、それ以降はどういうわけか読もうと思わなかった。
 本を読もうと思うきっかけというのは案外はっきりしないものが多くて、先日感想を書いた『猫を抱いて象と泳ぐ』も、どういうわけかわからないけれど読もうと思ったと言って間違いではない。大雑把な言い方をすると、インスピレーションである。でも、その直感的な何かにもし根拠があるとしたら、それは自分と物語を巡り合わせる運命的なものではないだろうかと、最近は思いつつある。ある意味思考停止みたいな側面もないわけではないだろうが、自分が手に取ろうと思ったことのない本に手を伸ばそうとするとき、根拠のない直感にすべてを委ねてしまう緊張感と期待感に、胸は躍る。その先にある劇的な出会いに、胸は高鳴る。


 前置きが長くなったけれど、今回感想を書く本たちもまた、数ある小川作品のなかから書店で何気なく手に取った物語である。
ブラフマンの埋葬』は名前を知っていたため気になっていたのだが、そのとなりにあった『密やかな結晶』は、そのとき初めて知った。


 まずは『ブラフマンの埋葬』から。
 ある出版社の社長の遺言によって、あらゆる芸術家の創作活動を支援する“創作者の家”の手伝いをする主人公「僕」が、ある日、茶色い毛をした謎の生物に出会う。傷だらけで倒れていた尻尾の長い生物は、サンスクリット語で「謎」を意味するブラフマンと名付けられ、「僕」と一緒に生活していくことになる。


 たったひと夏の短い物語である。その名の通り謎のブラフマンは、森からやってきたと思われ、茶色い毛並み、身体の二・五倍ある尻尾、短い足に肉球が五つ、鳴き声はなく泳ぐのが得意、と、最後まで読んでもよくわからないままである。
 カフカの短編「雑種」ほどではないにしても、なかなかシュールな生物だと思う。ただ、不思議なことに読めば読むほど可愛げがあり、気付けばその仕草がいとおしく感じられてくる。少しずつ少しずつ、「僕」になつき、慕うブラフマン。言葉のないところにある彼らの心の交流と、彼らを取り囲む人々との対照的な気持ちのすれ違いが、短い物語の中にはっきりと表現されている。
 そして、解説にも書かれているのだが、この小説に登場する人物に、名前が明らかな人物はいない。主人公はずっと「僕」で、あとは雑貨屋の娘、レース編み作家など、描写も淡白である。そんななかで唯一名前を持つのがブラフマンであり、物語の焦点は過去にも未来にもなく、今現在、その年の夏のみに当てられる。


 さらっと読んでしまえるうえに、その結末はあまりにあっけない。すべてが刹那的で、読み終えてもそれを受け止める間もなく余韻は流れ落ちていくようで、そこで初めて、慌てて記憶にとどめようとページを戻った。
 言葉のないブラフマンの存在の余韻が、ほかの誰よりも読後に際立っていた。




 先ほど読み終えた『密やかな結晶』は、他の土地から隔絶された孤島に住む人々の物語である。秘密警察と呼ばれる組織による、「記憶狩り」がその島では進んでいる。ある日目覚めると、昨日まで存在していた日常的なものが、意識から抜け落ちている。それは例えば「帽子」であったり「ハーモニカ」であったり「カレンダー」であったりする。消滅と呼ばれるその現象を、島の人々は拒むことなく受け入れ、生活を営んでいる。
 その中で、消滅が起こっても記憶が消えない人がまれにいる。彼らの存在は、秘密警察に知られるとすぐさま連れ去られ、島から文字通り消されてしまう。小説を書いている主人公の「わたし」の母親も、記憶が消えない人間だった。そして、「わたし」を担当する編集者のR氏もまた消滅に耐えうる人間だとわかる。それを知ってしまった「わたし」は、彼の存在を秘密警察から守るべく、幼い頃から一緒に暮らすおじいさんとともに、家の一階と二階の間に隠し部屋をつくり、彼をかくまう。
 物質と、それに基づく記憶が日に日に消えゆく毎日を送りながら、「わたし」が紡いでいく物語は劇中劇として展開される。失い続ける「わたし」とおじいさん、それを何とかしてとどめようとするR氏。
 その島において、どんな抵抗も無意味なのが、物語が進むにつれてありありとわかってくるのがどうしようもなくかなしい。消えゆくものは物質だけにとどまらず、やがては肉体的な領域へと広がる。


 閉ざされた世界で、静かに失われていくものたちの哀しみときらめきを描いた透明な物語だった。書店であらすじを読んだとき、これぞ小川洋子氏の真骨頂ではないかと確信してレジへと持っていったのだが、期待通りだったと言っていい。
 400ページ弱ある物語は非常にゆっくりと進み、それが決して幸せな結末に向かっていかないとわかっていても、その場所に、その島の雰囲気をとどめておきたい思いに駆られた。


 それは単なる悲劇ではない、と言っておきたい。始まりと終わりが哀しいほどはっきりと存在する、一つの物語である。現実に生きる人間の姿を切り取って克明に描き出すのも小説の一形態ではあるけれど、この小説は、物語のなかでしか生きられない人々のためにある物語である。
 この小説に出てくる消滅ほど極端なものではないにせよ、私たちは過去の物事を知らぬ間に忘れていく。大切なことであるはずなのに、それを忘れてしまっていたことにすら気付かなかったときの哀しさと、形のない記憶の脆さ、儚さを、静かな言葉で教えてもらったような気がした。


 読んだ本の感想をこうしてとどめておくことは、形のない記憶を形のあるものとして残しておく大切な作業である。それがたとえ、知らぬ間に忘れてしまう瞬間が訪れるものだとしても。