移ろう雑感その他

 切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために


 立ち止まって考えたいとき、よく笹井宏之の短歌をひもとく。今というこの瞬間に一抹の不安を抱え、一寸先の未来に疑いのまなざしを向けたくなったとき、永遠を内包する刹那的な言葉で、雨雲のような気持ちのわだかまりを切り裂きたくなるのである。


 夜明け前が最も暗く、春の兆しが感じられる直前が最も寒い。一年間で一番大きな喜びがやってくる前の、今がちょうど一番暗いときなのかもしれない。
 先を見据えることも大切ではあるが、それ以上に今日を、今この瞬間に何ができるのかを考え抜く日々。昨年とは違うのは、駆けながら足元のみならず周囲の景色に目を向けるぐらいのことができるようになってきた点だろうか。


 少し前を向けば、華々しい門出が待っている。満面の笑みをたたえて言う「さようなら」を想像して、あまりにさみしい。表裏一体の終わりと始まりが、涙の行方を惑わせるような、そんな感じがする。


 やがてくる別れを見越しながらも、かりそめの現在を確かにつなぎとめておきたい葛藤。つなぎとめ続けた今の果てに、「さようなら」を言う今がやってくる。


 ただ、人との別れだけに「さようなら」を使うものでもないように思う。抱え込んだ不安に、寄り添っていた憂鬱に、「さようなら」を言う。あのときはつらかった、と振り返って笑えるようにと、切れやすい糸でつないでいた負の感情に向かって。


 そうであるならば、という指示語が織り成す別れの言葉に、互いに別々の思いを込め、今という名の糸を切り、新しい糸をむすんで去っていく。


 抱え込むさみしさや隠している孤独にも、「さようなら」が言えたなら。