社会から世界へ

 ――社会とは一体なんであろうか。


 山崎ナオコーラ[著] 『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)


 大きな問題提起から始まるこの小説の、登場人物は主に二人。小説家を目指す「私」と、学年で言えば一つ上の、紙川さんという男である。「私」は教育出版系の企業から内定をもらい、研修を最後まで受けるのだが、小説を書きたいために入社をやめ、専門学校に通いながらアルバイトをして、小説を書こうと決める。紙川さんは大学を卒業しても就職していないことを親にとがめられ、家を出てフリーターをしている。「私」が大学を卒業する時期が近づいたあたりから、「私」と紙川さんは「つき合い」始め、そのうち半分同棲みたいな状況になっていく。


 注意すべきは、「私」が考える「つき合う」ということは、単純に「パートナーと呼ぶほどではないが、他人を前にしたら「彼」だの「彼女」だのという三人称を「特定の異性」という意味合いで使って紹介し、その異性と「つき合い」をやめるときには別れの挨拶を必要とし、それなしで他の異性と仲良くなると「浮気」だの「本気」だのという言葉を使うことになるということを、暗黙の了解として共有」することを了承したに過ぎないということである。
 ばかみたいに好意を寄せてくる紙川さんに対し、「私」は適当にあしらいながら、自分の納得できる生き方を考え、契約社員になったりしながら、社会参加について悩む。紙川さんも紙川さんで、塾でアルバイトをし続けるわけではなく、公務員になりたいと言って勉強を始める。


 だらだらと内容のことを書いたけれど、170ページほどのこの小説は物語に大きな起伏があるわけではなく、淡々と二人の考えや関係が移り変わっていくさまが書かれているというだけだとも言える。重きを置かれているのは、「私」がつねに考えている、社会への問題意識である。
 安定した生き方で生きている者は勝ち組なのか、理想的なパートナーと結婚して二人で生きていけばそれで幸せなのか、子どもを産んで育てることにこそ女性の社会的な役割があるのか、などというような。
 タイトルがすでにそうであるように、男と女との組み合わせがこの世のすべてではないのではないかと、この小説は疑ってかかる。エッセイの『指先からソーダ』(河出文庫)を読んだからよくわかるのだけれど、ナオコーラさん自身の経験による問題意識がかなりストレートに「私」に現れていると思う。小説というよりは、小説という形式を使って、社会に対する自分の問題意識や疑念を直球で投げつけたもの、のようにも感じられる。
 しかし内容に詳しく触れずに感想を書くことが、なんと難しい本だろう。結末まで言ってしまわないと、そこから浮かび上がった自分の思いがうまく言えない(汗)


 とりあえず当たり障りのない範囲で、個人的な感想を言えば、ほとんど一気に読んだものの、読んでいて非常に複雑な思いだった。
 そのまっすぐな問題提起や、それ本当に正しいの?というような、一般的とされる考え方への批判的な口調には賛同できるところもあり、心地よさもなくはない。「私」の視点が「社会」の枠組みから抜け出た「世界」へと移行していく様子はすがすがしいし、二人が結ばれたらそれでハッピーエンドになるような恋愛小説をどこまでも覆そうとしている姿勢は素敵だと思う。


 ただ、小説を書いて生きていこうとする「私」と、大手の塾の正社員になってのし上がっていく生き方を選ぶ紙川さんを見ながら、両者の生き方がどちらも含まれる自分の今後の生き方に、非常に悩ましいものを感じたしだいである。
 小説を書いて生きていきたいけれど、4月からはそれなりに大きな塾の正社員になる自分として、さらっと他人事のように読めないなと苦笑いしてしまった。どちらの気持ちにも、わかるところはあるのだ。だからこそ、妙に身につまされるような感じだった。


 でも、いろんな人に広く読んでほしい小説ではある。読む人の性別によって大きく意見は分かれるだろう。プライドが高く、社会的な地位やあり方を気にしながら、彼氏としての立場でそれなりに好き勝手ものを言う紙川さんに腹立たしさを思う人もいれば、紙川さんをコントロールしているつもりになって実は依存しかかっている「私」の穿った視点に嫌気が差す人もいるかもしれない。両者の考え方は徐々に変わってもゆくけれど、どちらかに賛同するにせよ、両者を批判するにせよ、何らかのかたちで読み手の心に波紋を生む小説ではないかと思う。その世界に足を踏み入れれば、そのままさらっと読んで何の感慨もなく出てくることは難しいのではないか。
 社会=世界ではない。われわれは社会に出るとか社会人になるとか言う以前から社会の枠組みからは切り離されることなく存在してしまっている。そのことに無関心で生きることが一番危うい。


 ロマンチックな恋愛小説が好きです、と言う人たちに突きつけてあげたい小説かもしれない。と言っても思い当たらないのだけれど(爆)