記録に残さない旅

 伊勢神宮に行ってきましたー。


 なんでまた、と思うかもしれませんが、なんとなくです。
 気分転換というよりはある意味傷心旅行という感じで、どこか遠くへひとりで行きたいなあと思い、せっかくなら行ったことのないところへ行こうと、昨日決めました。とりあえず参拝する、を目的にして、それ以外は何も決めない完全な無計画の旅です。純粋に、どこか遠くへ行ってみるということで、最初の候補地は吉野だったんですが、二つの意味で桜が散ってしまっているのでやめました。で、他に近鉄で行ける範囲を考えたとき、そうだ、伊勢に行こう、と思い至ったしだいです。
 往きは急行、帰りは特急で、所要時間は大体2時間半ぐらい。遠出は遠出でも、普段の通学で毎日遠出しているようなものなので、学校よりちょっと遠いぐらいの感覚です。もはやこれは行動力ではなく放浪癖ではないかと最近思います。


 予定通りに外宮、内宮と参拝した後、売店の並ぶ通りを散策しつつ、松阪牛コロッケだったり松阪牛しぐれ福まんだったりを食べ歩きました。言うまでもなく美味でした。適当にぶらぶらするつもりでも、気付けばしっかり観光していたという。
 ちなみに、お土産に買った松阪牛ふりかけは微妙でした。


 で、参拝だけで帰るのもどうかと思って、海が見たいというだけでまた電車に乗って鳥羽まで足を伸ばしてみました。
 実は鳥羽は小学校の修学旅行で巡った場所で、何か懐かしさも期待していたわけです。思えばあの頃からほぼ10年が経つのかと、時間の長さに思いを馳せつつ鳥羽駅に降り立ち、しばらく歩けばあのとき寄った鳥羽水族館。変わらないその建物を見れば、10年という月日が一瞬にして埋まるように当時の記憶が甦って――くればよかったんですが、全然何も思い出しませんでした。
 それどころか、平日の夕方、閉館間近の時間だったからか、周辺を歩いている観光客の姿すら見えず、こんなにさびれてたっけと切なさを感じながら、ぼーっと潮風を浴びてました。太陽は傾き、その日差しを雲が覆い隠し、期待していた夕焼けもおあずけとなった旅の終わりです。


 まあそうは言っても、身体の疲れ以上に精神的な安らかさを得られた日帰り旅行だったと思います。いい意味でからっぽになったような。こんなふうに、ふと思いついてふらっと行ってみるなんてことは、来年以降そう簡単にできないと思うので、こういう時間も大切にしたいなと考えた一日でした。


 しかし、天照大御神を祀っている伊勢神宮に行った翌日の授業がキリスト教思想というのは、なんかいろいろ間違っている気がしますね……。


 追記:誤字訂正を携帯電話から行おうとしたら、本文の量が携帯電話の表示可能文字数をオーバーしていて、表示しきれない分が編集後に消えるという事態になりました。やっぱり何にしても、原稿はパソコンにかぎります。