西日本放浪記Ⅰ

 療養している。京都へ生まれ変わった丸善ジュンク堂を見に行ってみたり、東京へ神保町ブックフェスティバルに行ってみたり、引きこもってゲームしたり、ネットカフェに漫画を読みに行ったり。


 そして昨日から、西への旅行をスタートさせた。いつも通り、無計画行き当たりばったりの旅である。「とにかく2泊以上して帰る」をコンセプトに、観光地を巡っている。そろそろどこをどう旅してきたのか、まとめないと忘れそうで、こうしてホテルから更新している。


 11/4(水)
 早朝に大阪を出発し、新幹線で山口県岩国へ。決めていたのは二つ。「錦帯橋を見る」ことと、「錦川清流線に乗る」こと。新幹線を降り、まずは錦帯橋を見に、と思いきや、地図上はそう遠くないはずが、バスでなければ錦帯橋まで行けず、さらにそのバスが約1時間後にしか来ないことを知る。
 ならばと先に清流線へ向かい、観光徐行しながら山間を走る列車で終点の錦町まで。見ておきたい観光地より、とにかく列車に乗りたかったため、そのまま折り返して市街地へ向かう。曲がりくねった川沿いをゆっくり走る電車は素敵だったが、本当にそれだけだった。


 川西駅で降り、徒歩で錦帯橋へ。鮮やかな快晴と、夏のような日差しで、大阪から着てきたダウンジャケットを激しく後悔する。錦帯橋、美しかったけれど、渡るのに300円かかるのが解せない。
 岩国城へのロープウェイは、乗らないことにした。寄り道を思いついていたからである。


 地図上で、宮島が近いことが気になっていた。早朝から行動しているおかげで、うまくすれば夕方、厳島神社の大鳥居を夕暮れ時に見られるのではと思い、電車の時間を合わせ、JR山陽本線に乗り込む。
 途中、車窓から見える海沿いの工場群に目を奪われた。


 宮島口に着くと、平日にもかかわらずフェリー乗り場には人だかりができていた。さすが世界遺産だと思う。フェリーは片道180円。往復すると360円だが、どうしても錦帯橋の300円を思い出す。解せない。
 海上から大鳥居を撮影しながら上陸し、平清盛の像に出会う。周辺には鹿が闊歩していた。地元奈良の鹿たちより行儀がよくて唸った。


 逆光と修学旅行生により、写真を撮るのが大変だったけれど、それでも夕日に染まる朱色の鳥居は、寄り道してよかったと思わせてくれた。潮風は心地よく、建物も美しい。世界遺産の威厳を見た気がする。


 フェリーで宮島口に戻り、そこから広島駅を経由して、新幹線で新山口駅へ。翌日に向けて宿泊。長い一日だった。


 11/5(木)
 二日目はシンプルに「秋芳洞秋吉台へ行く」を目標に行動した。が、前日の調べが甘く、チェックアウト直後の時間にはすでにバスが出ており、次のバスまで約2時間待ち。それならばと周辺散策に繰り出し、地図上に見えたイオンタウンに行くも、規模はふつうのスーパー程度であり、何より書店がなかった。
 ぼちぼち荷物がいっぱいで、RPGなら新しいアイテムを手に入れるためにいらないものを売るか捨てるかしなければならない状況になってきた。装備品を売る(or捨てる)などすると今後の生活に支障が出るので、応急処置として衣類用圧縮袋と手提げバッグを購入。不要なものを一旦詰め込み、コインロッカーへ預け、秋芳洞行きのバスに乗り込んだ。


 緩やかな山道を行き、約45分で秋芳洞に到着。およそ1kmの鍾乳洞探索の始まりである。天然の洞穴は暗く涼しく、そして結晶化された時間に満ちていた。途方もないくらい長い時間をかけて作られた奇岩、うねる壁面、つやめく岩肌のインスタレーション。ごうごうと地下を流れる水音を聞きながら、闇の中を淡く照らされる鍾乳石を横目に歩き続けた。
 鍾乳洞を出て坂道を上り、秋吉台の展望台へ。カルスト台地が広がる。果てしない草原と、むき出しの石灰岩。白い岩が群生しているようにも見える。なだらかな稜線が美しく、どこまでも歩いていきたかった。そしてその一方で、どこまで歩いても広がっていそうで、そのうち空へたどりついてしまうのではないかとも思った。だから、地上の果てがもしこの世のどこかにあるとすれば、こんな感じなのではないかという気がしたのだった。


 秋吉台を後にして、本日の宿泊予定地に向かうため、新山口駅からまたしても新幹線に乗り込む。「さくら」である。茶色を基調とした内装がいいな、と以前尾道に行ったときにも思ったような。
 中学の修学旅行以来の九州上陸である。博多を通過し、火の国熊本県へ。駅から在来線に揺られ、水前寺公園にほど近い場所に宿をとった。


 こうして現在に至る。明日は阿蘇山に向かう。火口付近は規制がかかっているらしいので、その手前まで。時間があれば熊本城を見ておきたい。その先は未定である。