そこに言葉があること

 やっぱり人に会って話せるというのは幸せですね。
 そういう意味でも、人は独りで生きられないと思います。
 とか言いながら、久々に大学に行った今日を一言で表すなら「眠い」に尽きるんですが。
 語学の授業にて。食後、適温、予習済み、これらが三拍子揃った場合、促される行為は睡眠以外に考えられません。
 終始眠そうな顔をしてたんではないかと、あとになって心配になったりしてました。
 そんないつも通りの月曜日です。


 というわけで。川上弘美さんの『ハヅキさんのこと』を読み始めています。
 ゆるいです。とってもゆったりです。
 けれど、小説として書かれている瞬間は、その緩やかに流れる時間が崩壊するその劇的な場面だったりして、読んでいてときどきはっとします。
 日曜日の午後、こたつに入ってあくびしながら猫とじゃれている夫婦。なんとも言えないまったりとした雰囲気を感じながら読み進めていくと、実はその日に離婚することをお互いで決めていて、離婚届に判子を押して夫の方が出て行く場面に変わっていく。
 数ページの、少ない文字数ですが、行間から漂う空気の密度が、やっぱりとんでもないです。


 さて、本日購入したのは川上さんの本だけではありません。
 ちょっと京都駅から足を伸ばし、大学の書店にない、須賀敦子の『ユルスナールの靴』(河出文庫)を買いに行きました。
 書くのが多少面倒な諸事情がいろいろとあってものすごく読みたかった本で、佐多稲子と並んで、冒頭から惹き込まれ、1ページ目で文体に惚れ込んでしまった本です。
 何か自分の書く文章に、とてつもない影響を与えるような予感がしています。


 ……書いてみたらなんだかんだで読書の話題になってしまいました。
 就職か読書ぐらいしか書くことのない最近の自分に、ちょっと危機感を覚えます。