天竺は目指さずに

 先ほど伊坂幸太郎さんの『SOSの猿』を読了しました。
 西遊記と株とユング、簡単に言い過ぎるとそんな話です。
 なんというか、期待し過ぎてしまっているのか、物語が佳境に入ってから終盤にかけての盛り上がりに、どうしても物足りなさを感じました。
 もちろん面白く読んでましたし、偉そうなことを言える立場でもないんですが、新聞連載ということもあって、書き下ろしの作品みたいにはやっぱり読めなかったのが正直なところです。後半のユングの記述に、新鮮味を覚えられなかったせいなのかも、とも思うんですが。
 集合無意識について、もしここで初めて知ることになったとしたら、また別の感動があった気もします。
 専攻の弊害がこんなところに……。
 けれど、冒頭から伊坂さんらしさが文体には溢れているし、変わらないマスコミへの批判は随所に見られて楽しかったです。
「物語を語る際、何を説明し、何を省くかは、とても重要な問題だ。人間は得てして、大事なものほど省き、不必要なものほど注目してしまう傾向がある」
 こう書いておきながら、マスコミに対する批判的な眼差しが、物語の本筋とは少しずれた箇所で見られるのだから、にくいことするよなぁと勝手によろこんでました。
 当然読者の目線でこう思っただけなので、本当に伊坂さんがそういう意図を持って書いたのかどうかは知る由もないんですが。


 今日は他に書くこともないので、そんな感じで。
 これで3日間で3冊読んだことになることを思うと、贅沢したなーという感慨にふけってしまいますね。