そなえる

 夏の足音が聞こえる、と書くと文学的だが、現実的には夏の繁忙期が近づいてきているのを身に染みて感じている。一つひとつの仕事を手帳に書き入れながら、待ち受ける闘いに向けて頭の中でさまざまな想定を行う。
 
 何度闘い抜いても、うまくいくことといかないことはあるし、忙しさそのものには慣れても、勝負はつねに一度きりである。まだ始まるには早いけれど、こうしてその期間を考えるのは、一つの儀式みたいなものだ。昨年を超える結果を出すために何ができるだろう、と頭を巡らせる。儀式に差し出す供物はいつも未来を見据えた言葉で、練り上げた文章を、見えない夏のそれに献上する。
 
 仕事は仕事として考えつつ、6月も気づけば下旬で、3月に続き、文具にまつわる楽しみなイベントも控えている。仕事にせよ仕事外にせよ、自分の時間を明け渡すことが、誰かにとっての幸せにつながるなら、それ以上に嬉しいことはない。
 
 楽しみにできることが複数あれば、それは十分すぎるほどに生きる理由になる。夏の間にも楽しみはあるし、手帳の空白を仕事以外で埋める喜びもつくり出していきたい。
 
 まずは健やかに、丁寧に生きていくこと。多忙な日々をなるべく穏やかに生きるために、生活を怠らないこと。常識外れの連勤はないが、暑さに負けないようにしていきたい。心身を高いレベルに保つこと、睡眠時間を管理すること。
 当たり前のことではあるけれど、文章にしておくことで戒めになる。
 
 7月から変化するリズムに、きちんとついていける身体でいなければと思う。自分と向き合うのはたった一人の自分だが、仕事は孤独なものではない。仕事そのものも楽しみながら、その先にある楽しみをもっと楽しむために、できることはやりきろうと思っている。
 
 単なる自己管理のための文章のつもりだったが、夏に差し出す供物を仕上げることになってしまった。備えであり供えなのだろうとよくわからない納得をしながら、聞こえてくるその足音に背を向けず、正面から対峙できる人間でありたい。