祭りの後

 尾道への再訪と、東尋坊への突発的な挑戦を経て、考え続けていたのは人間関係のことだった。
 大学時代のことを振り返って、もっと人間関係を広げておけばよかった、と一人旅をしながら思う。

 

 当時、片道2時間の通学をしながら、専攻の友人たちと本や研究の話をすることで十分に満たされていたので、それはそれでよかったのだと思う。ただ、今思えば、ずいぶん余力を残して終わったような気もしていて、もっと広げられたのではないかと、おそらく今の自分だからこそ考えてしまう。

 

 仕事でたくさんの人と関わるようになったことが、少なからず自分を変えた部分はあるけれど、所属する場所を複数作ることを、もっとやっておけばよかったなとときどき思う。

 

 高校時代の人間関係で苦労したことが、積極的に関係性を広げる足枷になったのは自覚している。
 高2のとき、クラスのメンバーの部活が見事にばらばらで、みんなが無理して人付き合いをしているようなところがあった。興味のない会話に自分を合わせにいくことができるほど器用ではないのに、そこに合わせにいかないと孤立するという、極端に言えばそういう空間だった。孤立といっても、「隅の方にいる数人」として位置づけられるだけで、真の意味で孤独だったわけではない。ただ、「隅の方にいる数人」という見られ方をされるのが嫌で、個人としての自分をきちんと見てほしかった。

 

 山崎ナオコーラさんの小説に、「人間関係の基本は一対一」というフレーズがよく出てくる。最近は作品を追えていないのだけれど、このフレーズは忘れることなく、強い共感を持って自分の中に残っている。

 

 別にどう思われてもいいやと思えればよかったのだろうけれど、高校の教室という空間ではそこまで強くなれなかった。
 大学に入って、教室という空間から解き放たれるよろこびが大きかったので、いっそう自分からわざわざどこかに所属することをしようと思えなかった。自分のペースで生きていきたい、それを不用意に乱されたくないと、過剰なまでに思っていたような気がする。

 

 だから、当時どうにもできなかったのは、今の自分から振り返っても仕方がないとは思う。

 

 ならばなぜ、この話をしているかと言えば、「どう思われてもいいや」という思い切りみたいなものが、この年になってようやくできるようになり始めているからかもしれない。依然として、「人に良く思われたい」とか「恥をかきたくない」という思いは強いけれど、何をどう頑張っても、本質的な部分の見え方はすぐに変えようがないし、取り繕ったところで仕方がないということを、実感を持って理解したのだろうと思う。

 

 それは、見せ方の努力に意味がないという話ではない。一つひとつきちんと頑張ってきた部分は自分の人格の中に息づいているし、それは隠す隠さない以前に、何らかの形で見えるものだということである。逆に言えば、表層的な部分だけを見て判断されようが、大事にしてきた部分が支えになって、立ち続けていられるということだ。

 

 すべてが自分であり、「本当の自分」などない、という言い方をされることがある。先に述べた「本質的な部分」というのは、「本当の自分」という意味ではない。自分自身が根拠を持って選び、時間をかけてきた事柄によって規定される自分の一部のようなものだ。それは、少しのことでは揺らぎようがなく、にじみ出てしまうものとして現れる。そういうものが寄り集まって、その人の人柄を形成している。「どれも本当の自分」というような言い方はしたくないが、「どの自分でいてもにじみ出てしまうもの」というのがその人の本質だと思う。

 

 個人的なことを言えば、相応の時間をかけて出来上がっている今の自分自身が、職場である程度受け入れてもらえている、というのが本当にありがたい。そこにいていいと思われること、必要とされることで、自信になる。その自信があるから、あのときもっとああしていれば、と思ってしまうのかもしれない。そのときの自分が受け入れられる場所は、他にもたくさんあったのではないか、というふうに。

 

 過去を過去として語れてしまうだけの時間が流れた、というのも大きいのだろうと思う。
 雑感としてこれを書き連ねることが何になるのか、と考え始めると、急に自信がなくなりそうになるけれど、思考の跡を残すことそのものにささやかでも意味があると信じて、まとまりなく記事を終えることにする。

 結局今から何を考えても後の祭りかもしれないけれど、祭りの後の雰囲気は、決して悪いものではないし、と取って付けたような一言を添えておきたい。