読書遍歴② 2004年~2006年

■16歳~18歳

 高校に入ると、ライトノベルは読まなくなっていた。ファンタジーを書くことに必要な知識量や発想力、キャラクターを生み出す創造力に、矛盾のない世界観を組み立てる難しさを、いざ自分が書こうとして思い知ったのだと思う。何よりも書くためには経験そのものが必要で、考え、感じたことを言葉にする訓練を、生活の中でずっと続けていかなければいけないと思ったのだった。

 

 高校1年の頃が、書くという意味ではスタートラインに立った時期だと言える。まともにオリジナルのもの書いて、まともに読めそうな手ごたえを一応初めて得られたのがこの頃だった。

 それは、本多孝好さんと、よしもとばななさんを読んだことが最も大きい。本多さんは『MISSING』、『ALONE TOGETHER』、『MOMENT』、『Fine Days』と当時刊行されていた4冊を読み、よしもとばななさんは『キッチン』を読んだ。きっかけは覚えていないのだけれど、『キッチン』が人々に与えた影響力の大きさを思った。決してそんなことはないのだが、「自分にも書けそう」と思わせる文体、そしてその平易でありながら核心を突く言葉の数々と、日常に存在する感情の拾い上げ方が、真似であれ何であれ、書くことに向き合いたいと思う自分を後押ししてくれた。そして、とにかく影響を受けるままに読んで書くことをしようとしていた自分にとって、本多孝好さんの作品は、物語としての巧みさに惹かれた。当時の文体は、この二人にずいぶん影響を受けていたと思う。(高1のときの読書感想文には『MOMENT』を選んだ。)

 本多孝好さんはミステリー作家として位置づけられてはいるけれど、ミステリーだと思って読んでいたわけではなかった。本格ミステリーと呼ばれるものに惹かれるのは、まだもっと先の話である。

 とはいえ、本多さんをきっかけに扉が開いたのは事実で、ブックオフでいろいろと立ち読みをするうち、恩田陸さんを読み始めることになる。1冊目はどういうわけか『ライオンハート』だった。そこから『麦の海に沈む果実』、『三月は深き紅の淵を』、『夜のピクニック』、『ネバーランド』、『光の帝国―常野物語―』、『MAZE』などを読み漁った。

 

 この頃、自分の書く作品には、日常を舞台にしながらも非現実的な要素を盛り込んだものをと意識していた。何がベタで、何が使い古されていて、何が新しいのかは、広く深く読み続けなければわからない。自分の作品についてそこまで深く客観視しないでいられたのは、たぶん高校生だったからだと思う。

 

 高2になって、伊坂幸太郎さんの『オーデュボンの祈り』に出会ったことで、そこからとにかく伊坂さんばかり読んでいた。『重力ピエロ』の書評が新聞に載っていたのが、確か手に取るきっかけだったと記憶している。『ラッシュライフ』の手法に強く影響されて、複数の語り手を交差させる物語を4か月かけて書き上げた。240枚も書いたのは、後にも先にもあのときだけである。

 その一方、誰しもが高2で出会う「山月記」をきっかけに、中島敦を読み始めた。同時期に読んでいたものでいうと、宮部みゆきさんもこの頃だったような気がする。『ブレイブストーリー』や『火車』を読んだと思う。そして確か、小川洋子さんも高校の頃読んだ。『博士の愛した数式』をそのときは読んで、深く読み込んだのは大学に入ってからである。

 

 高3あたりから、少しずつ自分自身の書くものが変わってきて、非現実的な要素に頼らずに面白いものを書けることが、本当の技量だと思うようになる(そうとは言えないことは今ならもちろんわかっている)。純文学という言葉を意識するようになったのはこの頃で、芥川賞を受賞した作家の本を手に取ろうとし始める。伊藤たかみさんの『八月の路上に捨てる』を読んだり、川上弘美さんの『蛇を踏む』を読んだりした。そして、またしても誰しも出会う「檸檬」をきっかけに、梶井基次郎を読み込んだ。短篇の一つひとつに重みを感じた(つまりはこの重さなんだな)。

 

 高校時代はこんなふうに、とりあえず興味の向くまま、読んでは書くことを繰り返していた。芥川賞の作家をなんとなく手にとっては立ち読みしていたことが、大学に入ってからの読書遍歴に大きな影響を及ぼすことになる。

 

 ということで、前回よりも多くなってしまったが、何とか高校卒業までこぎつけた。無邪気に書くことができていた時期は尊い、などと思った。