辺境の聖域

 泊りがけの遠出がしたくて、石川県に行くことにした。旅程の詳細は特に決めず、ホテルの予約も行き当たりばったりの、気楽な放浪である。昨日、兼六園金沢城公園をゆったり観光して、今日は朝から県立美術館と21世紀美術館をめぐり、泉鏡花記念館にも行った。
 ただ、ふつうに有名どころを観光するだけではあまり有意義ではないような気もしていたので、能登半島をさらに北へと進むことにした。都市を離れ、自然に囲まれた場所を訪れ、そこに住んでいる人たちの暮らしに思いを馳せるのは楽しい。


 今回訪れたのは石川県の七尾市にある、山の寺寺院群と呼ばれる場所である。十以上の寺院が深い森の中にあり、それらをつなぐ道は瞑想の道という名がつけられている。初日に金沢駅前の書店でガイドブックを読み、歩いてめぐるのに適した場所を探した末の選択である。
 暑さから逃げたくて、涼しそうな場所を選んだのだが、いざ到着してみると駅に観光客らしき人は皆無。バスは一時間に一本という僻地だったため、やむなくタクシーに乗って十分ほど揺られる。
 当然瞑想の道を歩いているのは自分だけで、薄暗い森の中を、別の意味の涼しさを感じながら、なんとか迷走することのないように歩いた。今思えば、タクシーの運転手さんから地図をもらわなければ、迷走していたのは間違いない。途中、トンボの群れに行く手を遮られたり、頭上からけたたましいセミの来襲を受けたりしたものの、そこは辺境に位置する聖域と言ってよかった。
 観光地として誰にでも開かれている奈良や京都とは違って、ひっそりとたたずみながら訪ねてくる人を待っている。本来寺院とはそういうものであるはずで、蝉しぐれを全身に浴び、揺らめく木漏れ日の間を歩きながら、故郷に対する神妙な思いを抱いていた。


 帰りは駅までバスで行けるかと思いきや、またしてもタイミングが悪く、相当な時間を待たなければならなかったため、来るかわからないタクシーを炎天下で待つこともあきらめ、駅まで歩くことにした。線路をたどれば迷うことはないので、途中でその存在に奇跡的なものを感じたコンビニに寄って水分を確保しながら、田舎道を歩いた。高い建物はなく、遠くまで見通せる道で、自転車を押しながら駅に向かう高校生の会話や、すぐそばを走り抜ける電車の音に耳を澄ませて、したたる汗を拭う。
 寺院群のすぐ近くに中学校があって、このあたりの地域の中学生はどんな感じなのだろう、と思わず仕事の習慣で考えたりした。


 駅について帰りの特急券を買うと、出発まで一時間あると言われ、駅前のショッピングモールで足を休め、現在帰路についてこれを書いている。あちこちめぐって思うのは、初日にまわったメジャーな観光スポットより、ガイドブックの片隅に載っていたために偶然行くことになった場所のほうが、強く記憶に残るだろうということである。自分だけだからこそ考えたこと、遠い記憶とどこかで重なるような体験を大切に、またいずれ、まったく知らない場所を歩いてみたい。