猫を拾いに行きたい

 川上弘美さんの『猫を拾いに』(マガジンハウス)を読み終え、感想をツイートしたものをまとめておきたい。思いつくままだらだらとツイートしてしまったために、それなりの量がある。これなら初めからここに書けばよかったと思った。


 川上さんの言葉はいつも、やさしく、ゆるい。豊富な語彙を持ちながら、その中であえて、ふさわしい言葉を選んでいる。ひらがなの多い文章だからか、熟語に重みが出る。不意に出てくる「悔恨」は、よほど悔しくて恨めしいのだろう、と思える。


 それにしても、いとも簡単に川上さんは人間を書き上げてしまう。男女が複雑に入り組んだ関係の中でややこしく思い悩んだりしているはずなのに、まどろっこしい説明は抜きにして、一言二言、さらっと書く。しかもそれで、きちんとこちらに伝わる。ひとは、くっついたり離れたりをくり返しながら生きていく。誰かを好きになって、しびれるくらいに甘い思いにひたったり、そのせいですこしかなしい思いをすることになったりして、それでもひととつながるのをやめずに。難しい言葉などなしに、そんな本質が伝わる。


 突飛な人物が出てきたり、人間かどうかさえよくわからないものが出てきたりもするけれど、生きているものに対して、とても寛容な姿勢がそこにあって、だからなのか、ほっとするのかもしれない。『神様』のくまと出会ったときのことを、少し思い出した。


 大学時代、川上さんが大学へ講演に来られたとき、「生きててもつまらない、しょうがない、と思うようなものは絶対に書かない」ということをおっしゃっていた。ひととの関係に傷ついた人間も多く登場するけれど、みんなわりと、あきらめるにしても、どこか前向きにあきらめているように見える。書かれていない余白にはきっと、登場人物たちの絶望や諦念も渦巻いているのだろうけれど、憂鬱なその思いにやさしく「でも」と声をかけるように、地の文が響いてくる。心がきゅっとしめつけられ、ふっとゆるんで温かいものが流れていく。
 短い文と文の間に、結構な時間の経過があるからかもしれない。彼らが思い悩んだ時間が、余白には隠れている。決して文字にならないその言葉の存在を、知らぬ間に意識しながら、書かれた言葉に心を揺さぶられるのだった。それを、すごく簡単に書いているように見えて、読んでいるときにはあまり考えないのに、後になっていろいろと考え込んでしまうことも多い。


 あまり川上さんをたくさん読むひとが近くにいないので、平易な言葉の奥にあるその世界の魅力が、少しでも伝わればいいなと思いつつ、川上さんの文章に対して、久しぶりにまとまった量の感想を書いた。誰かに気持ちを傾けることは尊く、ひととつながっていくことで芽生える思いを、大切にしていけたらと、そんなふうに思える一冊だった。