文章の連続写真

 読み始めた本が、読み終わるまでのあいだに賞を取るなんて、なかなかタイムリーな偶然だと思う。国を揺るがす問題も起こっているが、それはそれ。


 柴崎友香[著] 『寝ても覚めても』(河出書房新社


 発売日に買いに走ったけれど、就職先が決まるまでとっておこうと大事にしていたこの1冊を読むタイミングが、まさか野間文芸新人賞受賞と重なるとは思わなかった。
 けれど、読み終えて、柴崎さんの最高傑作だと思った。


 270ページほどの長編で、書かれているのは、22歳の「わたし」、泉谷朝子が、突然消えてしまった恋人、麦(ばく)という男の消えない面影を追いかけながら日々を過ごした10年間の軌跡である。
 それは物語という言葉からすごく距離があって、文章で切り取った一瞬の連続が、10年という月日をつくり上げているような感覚で、ずっと読んでいた。記事タイトルにもしたけれど、朝子という女性の10年間を、写真みたいに切り取って小説にしたような、そんな印象を受ける。
 だから、あらすじを書いてしまえば恋愛小説になるけれど、書かれているのは月並みな物語ではない。


 レンズの向こうに広がる世界やひと、そこに満ちる光や色に焦点が当てられて、一文が一枚の写真になっていて、それを次々にめくっていくように、文章が続いた。
 でも、本物の写真がそうであるように、なんでもない一枚にも、捉えられた一瞬に宿る、写された側の気持ちの動きや感情の起伏から、撮影した人間の視覚や主観までが凝縮される。
 それを書き漏らすことなく柴崎さんは文章として表現していて、情景を短い文章で断続的に切り取りながらも、たった一枚の写真に浮かび上がる人物の気持ちの揺れ方を、長い一文に込めたりする。そのバランスが絶妙だった。


 語り手の朝子が写真を趣味にしているから、そういった書き方がより際立って行われているのかもしれないけれど、この作品によって、柴崎さんらしい文体が今までよりはっきりと確立されているように思う。
 心理的な描写よりも情景の描写が圧倒的に多く書かれているはずなのに、読んでいて、朝子の気持ちの移り変わりが鮮烈に響いてくる。何を見て、それがどんなふうに目に映るかで、感情の機微を表現する巧みさは、見習っていきたいと思った。


 10年の月日が書かれているぶん、読み進めていく現在が過去になり、後半になるにつれて、過去と現在が重なって、ずしりと重みが感じられてくる。
 精読したからこそ、そういった内容面に触れながら書こうと思っていたけれど、完全に筋を明らかにせずに感想を書くのはやっぱり難しい。踏み込んで書きたい気持ち以上に、ひとりでも多くのひとに、実際に読んでもらいたいと、読み終えて思ってしまった。


 寝ても覚めても好きなひとをおもう朝子ではあるけれど、それが具体的に何なのか、相手の何をおもっているのか、自分は何をもってひとを好きになっているのか、わからないまま、日々は続く。時が経って、それが過去形になりかけてしまったとき、不意に、かつて欲しかったこたえが舞い下りて、切なくなる。
 言葉に表せない気持ちの向こうへ、紡がれた文章の行間から連れ出してくれる1冊である。