言葉の窓辺でまどろむ

 窓際に座って外を眺めるという行為には、いつでもどこか魅力的な何かを感じる。高さのある場所から、普段とは違う視点で、眼下に広がる景色を見ていると、地上からは見慣れているのに、しばらく眺めていたいと思う。交差点を行き交う人々を窓から見下ろすことで、そこに生きている人たちを、見られる側として対象化し、見る側の自分が何か優位に立ったかのような思いを持ったり、けれど自分もそんなふうに見られる側として普段は生きているのだと改めて実感させられたり、たった一枚の窓を隔てて、様々な思いがめぐっていく。
 そんな場面を最近の小説にも書いたばかりだったこともあり、窓をテーマにした散文集であるこの本は、いくつもの窓を見つめながら、何かが起こることを期待せずにいられないという思いをかき立てる。


 堀江敏幸 『戸惑う窓』(中央公論新社


 掲載されている短篇のすべてが窓にまつわる文章や言葉に関する散文で、あらゆる角度から、いろいろなかたちの窓を見つめ、採光と換気という役割にとどまらない何かをそこに見て取ろうとしているのがうかがえる。ふと外へ目をやるものとして、じっくり外を眺めるものとして、外から見られるものとして、ひっそりと覗くものとして、あるいは、天上から差し込む光を見上げるものとして、窓とはいったい何なのだろうと、その言い知れぬ魅力が語られ続ける。


 堀江さんの文章は、単なる日常的な記述に終わるエッセイではなく、かつて自分の触れた文章にまつわる記憶が喚起され、その文章そのものをひもとき、それが書かれた際の思いに寄り添っていくものである。自身の経験を記述しながら、緩やかに書評へとシフトし、不意に日常へと還る。それゆえに、散文と呼ぶことが最もふさわしい。


 窓についての経験から、引用されていく数々の文学作品は、それぞれあまりに美しく見える。筆者の文章で形作られた壁面に、引用で窓をつくるような、そんな書き方に感じられた。それは壁を取り払って全景を見ることとは異なり、一部分しか見えていないゆえに、魅力的に思える。
 くり抜かれた向こう側に見える、優しい言葉の世界に飛び出したい、あるいは飛び込みたいという思いに駆られながら、しかし筆者の紡いでいく流麗な文章の中にずっと浸っていたいと思う。内側にいる満足感がこみ上げ、なおかつ外側への憧れが募り、そうしてかき立てられていく葛藤が、一つの作品をなしているように思えてならない。


 読まれる文章から、読む自分へと思いはめぐり、外側を見つめることが、いつしか自分自身の内側を見ることにつながっていく感覚。読み終えたとき、言葉の窓から漏れる光にカーテンをしめてしまうことが、もったいなくてならなかった。