秋の枯れ葉のものがたり

 深まる秋、降り積もる落ち葉を踏みしだいて歩く先に、長い冬の眠りが待っている。萌えいずる春を迎えるまで、ゆっくりと目を閉じる彼ら。
 荘厳な額に入れられた銅版画の物語がここにある。


 山尾悠子 『ラピスラズリ』(ちくま文庫


 ここではない遠い世界の物語に、正直なところ、入り込むのは難しかった。けれど、時間をかけて想像をめぐらせ、言葉に寄り添うようにしながら、じっと壁にかかった絵を眺めるように文字を追いかけていると、知らぬ間に自分が絵画のなかにいるような錯覚にとらわれた。
 絵を描くように、緻密に、丹念に言葉を紡ぐ人だと、山尾さんのことを想像する。こういうものが書きたいのだと、物語の向こうから作者の声が響いてくる。


 秋の終わりから冬の始まり、春を待つあいだ、張りつめる澄んだ冷たい空気や、落ち葉と枯れ葉のこすれあう音、暖炉で爆ぜる薪とその温もりといった、季節そのものを表現する描写の鮮やかさに心が連れ去られる。
 心酔する、という言い方を以前にしたけれど、山尾作品を読むときの感覚は、理性的に物語の筋書きを考えるというよりも、物語そのものに酔うというものに近い気がする。世界からの呼び声に耳を傾け、心と身体を物語に委ねるようにして、言葉の方舟に揺られるように読む。


 そうしてたどり着いた岸辺で舟を降りるときが、物語を読み終える瞬間で、去っていく舟を見送りながら、その余韻をいとおしむ。


 絵画として描かれている物語であることもあって、その絵を端から端までじっくり見つめることが、文字を追っていくことにほかならないため、すべてを読み終えて全体像がわかると、もう一度初めから読みたい衝動に駆られる。タイトルのラピスラズリと重なる最後の短篇「青金石」を読み終えたとき、思わず一作目の「銅版」のページをめくっていた。初めに絵を見て感じた印象に、確かな意味付けを行って、創られた世界を現実と地続きの世界として存在させることで、本当の意味での作品が完成するような気がして。


 最後に、解説の千野帽子さんの文章が素晴らしかった。この小説を真夏のさなかではなく、秋が深まるころに読めばよかったかなと思うくらいに。
 内容面に踏み込んだ感想を書くためには、まだまだじっくり読む必要があるだろうけれど、それでも『夢の遠近法』に続いて山尾作品を読んできて、その味わい方がわかってきたように思う。好きな作家の一人として、そろそろ名前を刻みたい。
 何度も言っているけれど、薦めてくれた方に、改めて感謝を。
 次に控えている『歪み真珠』も、楽しんで読み進めていくつもりである。