奈良・レポート

 津島佑子さんの『ナラ・レポート』(文春文庫)を読んでからというもの、とりあえずもう一度大仏を見たいという思いが拭えず、じゃあ見に行くかとふらっと奈良公園まで行ってみた。
 なんせ電車で10分なのである。近い。近いからこそ全然日頃は行く気にならず、前回行ったのがいつだったか思い出せないくらいだった。


 思えばひとりであの辺りを訪れるのは初めてだったので、なかなかに新鮮な観光ができた気がする。この歳になってから行ったせいか、海外旅行を経験してから行ったせいか、感じ方も違うなと思えた。


 行って早々、言うまでもなくシカに迎えられる。そのつぶらな瞳に癒されたり、歩行者さながらに歩道をまっすぐ歩いてくるシカに対し、すれ違いざまに、今日もお疲れさまです、と言いたくなったりした。小説中、あのシカにモリオはナイフを突き立てたわけか、と不謹慎なことを思った。


 鏡開きを迎え、初詣シーズンが過ぎ去った三連休明けの奈良公園は閑散としていて、訪れている人々は日本人より海外からのお客様のほうが多いのではないかとすら思った。予想はしていたけれど、ずいぶん人気がない(どちらの読みでも構わない)。
 ただ、そのおかげで人混みとは無縁ののんびりとした観光ができた。


 やはり、『ナラ・レポート』を読んでから見る東大寺の大仏は違う。ふつうに見るだけでも神々しさがあるけれど、小説中であれに黒い塊がぶつかって言葉が飛散したのかと思うと戦慄する。現実の大仏は無事でよかったと安心した。


 こんなふうに、小説に出てくる場所をめぐるのは、楽しくて仕方ない。周りの観光客とは一味違った楽しみ方をしている実感があって面白いなと思う。言葉の群れから読後に形作られた想像の情景と、現実の風景とが重なり合う瞬間は、言葉を超える衝撃をもって心に響く。
 ささやかながら楽しい旅(旅と言っていいのかどうか)ができた一日だった。


 ちなみに、数あるせんとくんグッズを、何一つとしてほしいと思わなかった。