【旅行記】地上に広がる銀河を求めて

■8/15(月)松本〜姨捨


 名古屋駅を発った電車は次々とトンネルを抜け、木曽路をゆく。車窓から見える鮮やかな緑の稜線は高く、雄大だった。点在する家、ゆっくりと走る軽トラック、広がる水田の緑もまた眩しく、ああ、長野に来ているのだなという実感が強まった。目的地を長野に決めたのは、行ってみたい観光地があるからではなく見たい景色があるからだった。


 天気予報通りの曇り空の下、松本駅を降りて信州そばと天丼を食べた後、松本城に行こうというときに激しい雨が降り始めた。スーパーのベンチで雨足が弱まるのを待って、完全に止む気配がなかったためにあきらめて松本城まで歩いた。
 烏城とも呼ばれるその外観の黒は美しく、堀の水面を打ちつける雨の波紋とともに写真に収めた。いざ中に入ろうとすると城門前には行列ができていて、悪天候にもかかわらず一時間待ちの札を持った従業員らしき人が立っていたので、入らずに引き返すことにした。


 月曜日だったので美術館も休館日で、そのまま駅に向かって歩いている途中から雨は小降りになり、やがて止んだ。止んだどころか雨雲がどこかへ消え、青空さえ見え始めた。喜ぶ反面、松本城へ引き返そうかとも思ったけれど、カフェで本が読みたかったので、そのまま駅前のカフェにて読書を一時間ほど。電車の時間を調べてから読みふける。


 松本駅に戻ってローカル線に乗り、晴れを祈りながら目的地の姨捨駅へ。二両編成の普通列車に揺られる。
 到着してその無人駅ホームに降りたとき、眼下に広がる善光寺平の景色に思わず立ちすくむ。阿蘇カルデラの眺望を見たときに近い、いや、嬉しさとしてはそれ以上だったと思う。
 日本三大車窓に数えられる姨捨駅からの眺望。
 天気予報を裏切って続いてくれた晴れ間が照らすのは、棚田の景観と、山に囲まれた穏やかな街並みで、それは見晴るかす遠く先まで続く、のんびりとした風景だった。
 到着したのは午後五時過ぎ。電車は一時間に一本。たっぷりとある時間と、逃げることのない絶景。ホームから外側の眺望に向かって備え付けられたベンチに腰を下ろし、写真を撮りながら、ぼんやりとその景色を見ていた。
 雲は多かったものの、雨が降る気配はなかった。辺りはしだいに薄暗くなっていく。
 出発前から求めていたのは、ここから見える夜景だった。街の光が一面に浮かび上がる画像が思い出された。天気さえもってくれればと祈る思いを抱いて、斜面を下って棚田を撮影したり、周囲を散策したりしながら、日没を待ち、月を迎え、宵を待った。


 黄昏時の善光寺平も美しかった。空がゆっくりと青から紫へと色を変えていく。標高約六〇〇メートルから見下ろしていると、山の向こうに沈んでいく夕陽とともに、少しずつ街の端から順々に翳っていくのがわかる。昼はこうやって夕方になり、夕方はこうやって夜に代わっていくのだと、当たり前のことなのに、感慨深い思いで眺めていた。当たり前、と思いながらも、ずっと同じ場所にいて、日が沈んでいくのを静かに待つことすら、普段ではありえない行為なのだと思った。ただ待つという時間が、日常からの逸脱なのだった。そう考えると、こうしてぼんやりしていることが、たまらなく贅沢な時間に思えてきた。


 そして少しずつ、薄暮の中で家々に灯りがともり始めていく。山の向こうに隠れた太陽のわずかな光は燃えるような輝きで稜線を染め、振り返ると棚田の上に白く淡い月がのぼっていた。名月の里としても知られる姨捨の地を、悠然と見下ろすかのように、月はゆっくりゆっくりとのぼっていく。


 やがて辺りがとっぷりと闇に包まれたとき、眼下に広がっていたのは、宝石をひっくり返したような光の粒のきらめきだった。穏やかな里の景観は、ぼんやりと揺らめく人工の灯りがひしめき合う幻想的な輝きで満ちていた。雲が多く星があまり見えなかったために、それは地上に広がる銀河のようにすら思えた。ちりばめられた星の一つひとつはそこに暮らす人々の明かりで、だからこそいっそう貴くも思えた。旅の途中、さながら銀河ステーションのプラットフォームとなった姨捨駅で、とにかく夢中で写真を撮った。


 午後八時、定刻にやってきた電車が、銀河ステーションを現実の駅に引き戻した。名残を惜しみながら、姨捨駅を発って長野駅へ向かう。車窓から見える街の光のきらめきを、まぶたの裏に焼きつけておきたい。そんな思いで、車両がトンネルに入って、その景色が見えなくなるまで、うっとりしながら宵闇の向こうの銀河を眺めていた。忘れられない旅になった。


 じっと夜を待ちながら全身で感じたのは、時間そのものの手触りだったように思う。過去から未来へと流れていくのではなく、連続する現在の中で、目に見える辺りの風景や、聴こえてくる虫の声、涼しくなっていく風の肌触りによって、その移ろいが身に染みていく。今をとどめておきたいと思うそのことが、何ものにも代えがたい旅の幸せなのかもしれないと思った。