忙しいというただそれだけで

 なんかこう、音信不通だった友人から突然連絡が来るような記事が書けないものかと思う。それも、仕事やめたとか結婚するとかいう、人生の岐路的な、どでかいことでは一切ない、至極些細な内容で。


 忙しいから、連絡が来たところで返信をわずらわしく思ってしまう状況なのは否めない。でも、最近とみに思う。


 ツイッターもブログもやっていない友人たちよ。
 生きているのか? と。


 頻繁に連絡を取り合うから信頼関係が厚いとか、めったに連絡を取らないから薄っぺらい関係だとか、そういうことは一概に言えることではないけれど、これまでの人生で築いてきた人間関係って、こんなものなのだろうか、とときどき思うのだ。


 けれど、深刻なことではなく、それはひどく当たり前のことでしかないこともわかっている。連絡しようと思えばできるものを、しようと思えばいつだってできるから、別に今すぐしなくてもいい、という状態が延々と続いていく。たったそれだけのことなのかもしれない。


 たったそれだけのことで、親密だった関係は、さらっと薄れていく。
 日々の忙しさのなかに、過去の関係は埋没していく。
 砂に埋もれたそれらを掘り起こして喜び合うのもそれはそれで素敵なことだろうけれど、どうせなら砂に埋もれないように保っていく関係を、多く持っていたいなと思う。


 思うだけで行動しないなら何も変わらない。
 それをわかっていて何もせず、ただこんなところに粛々と書いている自分はいったい何なのだろう、などと思いながら、みんなどうしてるかなーと、ぼんやり考えている。