卒業――

 昨日、震災の影響を鑑みたような曇り空のもとで、卒業式が行われた。黙祷で始まった大規模な式典のあと、専攻ごとに分かれて行われた卒業証書の授与が終わっても、そして、帰路についてからも、大学の4年間が終わったのだという実感は湧いてこなかった。


 すでに働き始めていて、学生生活に明確なピリオドを打つ間もなく生活が変わってしまったせいももちろんあるかもしれないけれど、多分、それだけではないのだろうと思う。
 最後だから、もう会うことはないかもしれないから、と友人たちを探して一緒に写真を撮りながらも、最後だからといって、特別そこで交わされる会話がいつもと変わるわけはない。普段と同じように学食で昼食をとりながら話したことも、座り慣れたラウンジのベンチで交わした会話も、とり立てて節目らしい内容ではなかった。
 そんなものなんだろうな、と思った。つくられた物語でもないかぎり、終わりというのはえてしてそういうものだというような気がする。


 ただ、あっという間だったとは、思わない。
 いろんなひとと出会って、いろんな影響を受けて、いろんな場所へ行って、いろんな経験をして、いろんなことを話して。人生で一番楽しかったと言えることも、人生で一番つらかったと言えることも経験した4年間だった。長い長い4年間。でも、もう少し長くてもいいのにと、時間が経つにつれ、名残り惜しさが込み上げてくる。


 中学から高校までの6年間、教室の中の半ば強制的な人間関係にそれほどいい思い出がなくて、集団に属することを拒むようにして、サークルには入らなかった。その結果、自分と相手との一対一の関係を大切にしながら、大学での人間関係を築いていくことになった。
 だから、式が終わってから友人たちを見つけていろんな話をしていても、誰もがそれぞれに所属するところがあって、帰る場所のない心細さに、胸の奥がしめつけられた。


 それでも。この4年間で得られたものは何かと問われたら、それは親友と呼ぶことのできるひとたちとの大切な絆だと、ためらうことなく断言できる。それぞれが別の集団に属しているせいで、みんなが一堂に会することはないけれど、大学を卒業したぐらいのことで終わるようなつながりではないと思っている。


 だからなのかもしれない、と思った。
 卒業するからといって、これで終わりなのだと思えない。形式的な節目ではあっても、それが自分にとって、人と人との関係に終止符を打つほどのものには到底なりえない。そんな気がしている。
 あるいは、終わらせたくないのかもしれない、とも思う。
 これで終わりになどしたくない、そんな思いが自分のなかに強くありすぎて、終わりのかなしみを紛らわせているような気もする。


 節目だとしても、句点は打ちたくない。
 だから、タイトルには「――」を付けた。次章が始まるにしても、末文の余韻を忘れないように。でもできることなら、この先も同じ文脈のうえでまた会えるように。


 素敵な4年間をありがとう。終わらせるつもりはないけれど、感謝の言葉で、日記をしめくくりたいと思います。