人間ってなんですか

 山崎ナオコーラ[著] 『人のセックスを笑うな』(河出文庫


 実はまだ読んでいなかった、ナオコーラさんのデビュー作である。大学生協にて河出文庫が20%オフだったこともあって、年末に買って、昨日読み終えた。
 インパクトのあるタイトルで(ナオコーラさんは全部そうだが)、これは映画化もされているので、ずいぶん売れている本である。手元にあるのは42刷。売れているものを敬遠するあまのじゃくな精神から、河出文庫で出ているほかの作品をすべて読んでから手に取ることになってしまった。


 感想を一言で言えば、やっぱりセンスがいい。
 描写を足したくなりそうな場面なのに、無駄な言葉を削ぎ落として、必要なことだけを最小限の言葉で投げかけてくる。直球である。ただ、真正面から飛んでくる直球ではないから、びっくりするし心地よさもある。
 最短の距離を通って、物事の核心を突き刺す言葉が飛んでくるように感じる。


 表題作は120ページほど。内容は、美術の専門学校に通う19歳の「オレ」が、そこで講師をしている39歳のユリと関係を持つ、というもの。
 その関係というのが、肉体的な関係とだけ言うには不十分に感じられる曖昧さを持って描かれる。ユリには52歳の夫がいる。彼女にとっては夫の「猪熊さん」も「オレ」も大事なひとである。「オレ」のほうは、別に「猪熊さん」からユリを奪おうなどとは考えていないし、結婚したいということも思っていない。
 確かなのは、お互いのことを「好き」だということだけなのだ。それだけで充分じゃないか、と「オレ」はそのときは思うのだけれど、人と人の関係はそうシンプルなものではない。


 さらっと読めてしまうから、なんとなく物語の流れだけを追いかけて読み終えるのだが、あとになって考えてみると、さらっと読んだはずの部分を、シンプルに語ることができない。ナオコーラさんはそういう小説を書く作家である。明確な言葉で淡々と語られるのに、そこにある関係が何なのかはとても明確に言えるものではない。単純な言葉で勝手につくり上げられた思い込みの枠組みに、人と人との関係をはめこんでたまるか、と直球が飛んでくる。その切れ味が半端ではない。


 個人的な感想は、デビュー作はやっぱりもう少し早く読んでおくべきだった、という思いである。何冊か読んできて、ナオコーラさんが書くものにもずいぶん慣れてきているので、それほど衝撃は感じられなかった。ああ、初めからそうだったのか、と納得した感じ。
 でも、最初に人に薦めるナオコーラ作品として選ぶなら、この作品より『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)や『カツラ美容室別室』(河出文庫)を推したい。前者は一番主張が出た作品で、後者は他のナオコーラ作品より主張が薄めだから、逆に入りやすいように感じる。とはいえもちろんナオコーラさんらしさは充分に出ているけれど。


 で。そんな『カツラ美容室別室』が好きなら、とお薦めを受けて読んだのがこれ。


 山崎ナオコーラ[著] 『ここに消えない会話がある』(集英社


 一言で言うと、テレビ欄をつくっている職場の様子を三人称で描いた小説である。舞台はずっと職場で、ラテ欄製作中に交わされる会話のみが物語になっていると言っていい。登場人物は以下の通り。


 見た目がアキバ系だが実際そうでもない、日本で二番目ぐらいに偏差値の高い大学を卒業した広田。男性。25歳。契約社員
 ひそかに小説を書いていて、二流私大(自称)を出ているという岸。女性。25歳。契約社員
 リーダーぶった発言、行動が目立つ、新卒で入った佐々木。男性。25歳。正社員。
 釣りが好きで、いつも日焼けしている別所。男性。26歳。正社員。
 五年目でしっかりものだがよくふざける魚住。男性。27歳。契約社員
 途中からテレビ欄の班にやってきた、体育会系で美人の津留崎。女性。27歳。嘱託社員。


 110ページほどの短い小説ではあるけれど、会話を通して彼ら一人ひとりの人間像はすごくくっきりと浮かび上がる。とりとめもない会話で、日々は彩られ、人生は続くのだなと思う。
 人間って素晴らしいなと、ばかみたいなことを考えてしまう。


 ナオコーラさんの小説に出てくる人物は、結構みんな「ばかみたいなこと」を考える。この小説の広田も、「自分という存在がなんなのかはわからないが、花を見つける目、湿気た外気を感じ取れる肌、それを統合する脳があって、幸せだ、としみじみ、ばかみたいなことを考える」。
 実は、さっき書いた「人間って素晴らしいな」とばかみたいなことを考えながらバスを待つ「オレ」が出てくるのが、『人のセックスを笑うな』の冒頭である。


 どれほど他愛のないことであろうと、交わされた会話は消えない。それが交わされたことは消えてしまわない。なんとなく、柴崎友香さんの『主題歌』(講談社)を思い出す。


 ばかみたいな、どうでもいいようなことの繰り返しが、簡単には切れない人間関係を築き、人間って素晴らしいのかもしれない、とときどき考えさせてくれる人生を築いていく。それなりの幸せと、中途半端な哀しみや絶望の狭間で、決して生きやすくはない日々を人は生きている。
 読み終えたあと、誰かと、なんでもない会話をただなんとなく交わしたくなる、そんな小説だった。


 ところで。感想を書くのはここで終えてもいいのだけれど、ナオコーラさんの小説に関して、よく出てくるものを並べたら面白いんじゃないかとふと思ったので、列挙してみる。


 ・人間関係の基本は一対一
 ・人生はサバイバル
 ・ラテ欄をつくる仕事をしている人
 ・ダッフルコートを着た男性
 ・ミャンマー(あるいは東南アジア)に飛ぶ人
 ・パンを食べる人、あるいは場面
 ・たまプラーザ
 ・「〜って何か?」という問いのかたち


 一つずつ詳しく考察していきたいが、すでにずいぶんな文字数を本日は書いてしまっているので、あえて説明はしない。ただ、ナオコーラさんの作品を複数読んでいる人ならおそらく思い当たるところがあるだろうと思う。経験が投影されているなあという気がする。
 あまりに露骨に、あ、また出てきた、と思うので、最近ナオコーラさんの小説を読むにあたって、別の楽しさを見い出しつつある。
 もっといろいろ書きたいことはあるけれど、またの機会にします。