発信するかたち

 最近なかなか本を読み終わらないせいで日記が書けない日々が続いています。
 でも、本を読まなくても書くことがないわけではないし、何かしら書けばいいんじゃないかという声が聞こえてくる気がしないでもない、こともないんですけど(謎)
 とりあえず言いわけめいたことを書きます。


 いろいろあるんですが、やっぱり小説が書きたくて、ものを書くことに対してあれこれ考えをめぐらせています。日記というかたちであれ、何かを書いてしまうことが小説への妨げになりはしないかと思ったり。妨げという言い方では悪いように聞こえますがそういうわけではなく、(日記に書きたいと思ったことがあっても)書かないという時間をつくってみることが、少し必要なのかもしれないと考えたりしてます。


 何か書きたい、と思ったとき、それをどのようなかたちで書くか。
 さらっとツイートするか、日記に書くか、小説にして書くか、あるいは書くのではなく友人に話すか、アウトプットの方法はいろいろあります。ふと思い当たったのは、何かアウトプットしたい、発信したいと考えた瞬間、最近はまずツイートするという選択肢があって、次にブログという選択肢が出てくる、ということ。
 ある意味それは当たり前なんですが、そのとき出てくる選択肢に「小説として書く」が知らぬ間に失われている気がして、ちょっと慌てました。


 最近ずっと(小説が)書きたくても書けない状態が続いていて、その理由をだらだら考えています。一つではなく、いろんな理由が重なっているとは思うのですが、ものごとを小説にしてアウトプットしようとする癖が、昨年の就活で薄れてしまった気がしました。
 小説が書けないぶん、ブログに吐き出そう、書きとめようとする意識が高かったせいか、小説を書くにいたる思考の過程にブレーキをかけていたように思います。


 日常で出くわすものごとは、何であれ小説にできうる可能性を持っているはずなのに、「あ、ツイートしよう」とか「ブログのネタになるな」などと、そちらのほうに意識が向き過ぎているような。


 と、それに思い当たってから、少しずつではあるけれど、小説が書けそうな予感が大きくなっていると思います。思えばブログやツイッターを始める前は、アウトプットの方法としてすぐに小説が出てきたわけで、そのころの気持ちを改めて思い出してみようと、今あれこれ考えているところです。


 以上、言いわけでした。