【エッセイ】いとしの筆箱

 一つのものを長く使うほうかと聞かれたら、そうでもないんじゃないかとは思うのだけれど、ひとつ、とりわけ長く愛用しているものがある。
 なんでもない、アディダスの黒いペンケースなのだが、まだ大阪にいた小学校5年の頃から、他のものに買い換えることなく使い続けている。どうということもないかと思ってはいたけれど、ひとに話すと結構驚かれるので、同じペンケースを10年以上も使い続けるというのはなかなか珍しいことであるらしい。よく考えればペンケースと言われるそれを筆箱と呼んでいた時代からの生き残りである。


 じゃあ、なぜそんなにも長く使い続けているのかと聞かれたら、正直に言うと「壊れないから」、あるいは「破れないから」というのが一番大きな理由なのではないかと思う。愛着も確かにあるけれど、なんだかんだで丈夫というのは一つのものを長く使い続けるにあたって大切な要素なのは間違いない。
 ただ、このペンケースの場合に言えるのは、黒だということもあって、使い古したことが見た目にそれほど顕著に表れないということだろう。何かのキャラクターが描かれていたり、華美な装飾が施されていたりすると、多分あからさまにかすれたり汚れたりするのがわかってしまって、そろそろ買い換えようかな、と思うこともあるかもしれない。


 でも、とふと思う。ペンケース(というか本当は筆箱と言いたい)を買い換えようと思い立つタイミングというのはふつう、どういうときにやってくるものなのだろう。何気なく気分を変えようと思ってシャープペンシルを買い換えることはあるけれど、ペンケースを買い換えようとはなかなか思い立つものではない気がする。文具店や雑貨屋で気に入ったものを見つけても、書くものとは違って多少値が張るし、そういうものに出費するならもう少し違うものを、と考えてしまう。
 だいたい毎日使うものではあるけれど、身につけるものほど持っている人間の印象を左右するものでもないかと思うし、なかなかお金をかけるタイミングが難しいものだと思うのである。


 けれど、だからこそペンケースというのは持っているひとのイメージを、別の角度から見せてくれるものなんじゃないかと最近は思っている。頻繁に買い換える必要のあるものではないぶん、無頓着になりがちなそれは、何かとひとの印象に意外性を醸すような気がする。


 企業の説明会などでは全員がスーツを着ているため、ある程度はみんな真面目な印象があるけれど、机の上に奇抜なペンケースが載っていたりすると、おや、と不意に思うこともある。ペンケースから人格を読み取るのはさすがに困難をきわめるにしても、ひとによって重きを置く価値が異なるということを簡単に示してくれるから、なかなか面白いなと思う。


 しかしながら、これだけ長く使っている自分のペンケースは、今後も致命的な破損がないかぎり、どんなに素敵なものを見つけても買い換えることはありえないはずである。地味で人目を惹くこともないが、それで全然かまわない。