文を綴る文月

 7月に入ってから、ブログを更新していなかった。忙しいというのはあるが、思っていることを言葉にする機会が日常的に確保できているのが大きいのだろう。
 
 木軸ペンの購入報告から2週間ほど。届いた賞与明細を見て、あのペンを買いに行かねばと某文具店に向かった。
 
 S.T.デュポン、D-イニシャル ボールペン(ブラッククローム)。デザインに惹かれて試筆して、その書き味が忘れられなくなったボールペンである。より高価なデフィが有名なのだが、その隣に並んでいたD-イニシャルボールペンのほうが、安いのに持ちやすく、デザインも好ましく思えた。店頭を訪れるたびに試筆させてもらい、またいずれと言い続けていた。手元にあるRomeo No.3を上回るその滑らかなインクを、G2タイプのリフィルだという理由で先に購入し、別のペンに入れて使ってもいた。そんなデュポンのボールペンをようやくこの手に、と決意と期待を胸に向かった店頭で、信じられないことが起こった。
 
 ショーケースから取り出されたものを改めて手に取り、一筆して思ってしまった。「別に、今欲しくないかも」と。
 
 紛れもなく自分の内側から聞こえてくるその声に、異を唱えることはできなかった(本音なのだから当然だ)。
 どうして、と落ち着いて考えてみると、思い当たることは二つあった。
 
 一つは、初めて書いたときの感動が、試筆を繰り返すことによって薄れてしまったこと。あの感動が、その瞬間だけのものでなく、手に馴染んで以降もやみつきになっていく性質のものだと信じていたのだけれど、そうではなかったのだと気づいてしまったのかもしれない。
 もう一つは、前述の通り、先にインクリフィルを購入していたことである(一つ目の理由に関連することでもある)。G2タイプゆえの互換性が、自分がペンそのものを欲しいと思っているわけではないことを教えてくれたような気がする。実際、デュポンのインクを入れた木軸ペンの書き味に、かなり満足していたのは事実である。
 
 ならば、どうするか。懐に余裕があるにもかかわらず、気持ちは空回りし始める。手元に一本もないアクロインキの高級ラインの呼び声が、パイロットのグランセを通して聞こえてくる。こちらも改めて書いてみて、やみつきになりそうになる。が、その軸の細さがはやる気持ちに待ったをかける。しかしながら、絶妙な重さが誘惑を繰り返す。確かに、一度持って書いてしまうと、戻れない気がする。インクの発色と滑らかさ、高級感のバランス……軸の太さ以外に文句のつけようがない。今回はこっちかもしれない、とそんなふうに思ったとき、おもむろに、店員さんの差し出した一本があった。
 
 ウォーターマン、エキスパートエッセンシャル(ブラックCT)である。
 
 憧れだったウォーターマンのボールペン。メトロポリタンエッセンシャルは試筆したことがあったけれど、太軸のエキスパートエッセンシャルは、S.T.デュポンのほうが欲しいからと、詳しく調べることもしないままだった。けれど今、そのデュポンへの魅力が遠ざかり、序列が揺らいでいる。
 
 薦められるままに試筆して、種類の異なる衝撃を受けた。滑らかすぎず、かといって粘りが強いわけでもなく、筆圧に応じて滑りを制御しやすい独自インク。高級感のあるずっしりとした重みと、気持ち後ろのちょうどよい重心バランス。アクロインキほど滑らかさや発色がよいわけではないが、なぜか書き続けたくなる独特の書き味と安心感。どうして今まで試筆していなかったのだろう、とデュポンがあったからなのだが改めて自問してしまう。そして、持ったばかりなのに異様に惹かれている自分に戸惑う。
 
 信頼できる店員さんのお薦めとはいえ、自分の好みとの一致具合に驚きを隠せない。斜めに切られた天冠のデザインと、クリップの「W」の刻印が呼んでいる。
 「インクは0.8mmが入ってます。1.0mmもありますよ」これがとどめだった。
 1.0mmを仕事で使うにはやや太く、0.7mmがあればと願っていたところに、思わぬところからもたらされる0.8mmの誘惑。仕事でも自宅でもこの書き心地を味わえる。そしてそれは、今手元にあるペンのどれとも似ていない。
 それでも数十分悩んだが、購入せずに帰ることはできなかった。購入を決めてから知らされた、付属する革製のペンシースの存在も格別の嬉しさがあった。
 
 木軸のペンたちに、不満があるわけではまったくない。そこには工芸品としての美があり、同時に用の美もある。
 ただ、真鍮のペンには光沢や重みがあるだけでなく、ブランドが背負う歴史の重みや価値もある。そこに優劣はないと思っている。
 
 黒が似合いそう、と言われていたこともあって、自分に合うボールペン選びを真鍮のペンで考えたくて、即決にはなったけれど、エキスパートエッセンシャルがとてもしっくりきたのだった。ウォーターマンにはもう一つ上のランクにカレンというボールペンもあるのだが、より高価だからよいというわけでもなく、どちらも試筆した結果、自分はこのエキスパートエッセンシャルのブラックCTが気に入った(エキスパート=専門家というネーミングも、自分の仕事に合っているようで気に入っている。購入から間もないのに、もう不可欠な=エッセンシャルなペンになりつつある)。
 
 物理的に書くという習慣は、自分の日常に欠かせないものとなった。
 1月下旬に購入した365ノートは少しずつ終わりに近づいており、年内には使い終わりそうである。書かない日はあっても、その分たくさん書く日もあって、アウトプットが気持ちを穏やかに保てる要因の一つになっている。遠いように見える目標や願いでも、書いたことによって実現できたこともある。書けば叶うのかもしれない、と大げさではなく思い始めている。筆記具にはまったら人生が変わった、と言えるまで、それほど時間はかからないような、そんな気さえする。
 
 ペンは語る道具であり手段であるはずなのに、ペンについて語ることがこんなにも楽しいのはなぜなのか。書き味について語る言葉が、ペンを通して溢れ出る。書かれる言葉に意味があろうとなかろうと、書く行為そのものに極上の意味づけがなされていくのだから、何も問題はない。頭の中だけで行われ、完結する閉じられた思考が、身体を通して書く行為を伴うことで、開かれた悦びに変わっていく。未来のための今ではなく、文字を書く今この瞬間の悦びが、書き続けている間はずっと持続する。
 
 高品質な筆記具が良いとか、手書きゆえの楽しさとか、表向きに言われる言葉の向こうには、こんな深さと幸福感があったのかと驚かされる。消滅した語彙で語れば「良いペンは良い」に収束してしまうけれど、できうる限り拡散を試みればこのようになるだろうか。
 
 本当に? と思うなら、ぜひこちらの世界へ。わかる、と共感できるあなたはもう、筆記具沼の住人だと思う(良いペンは、何本あっても困らない)。