退屈な雑感

 あ、生きてますよ。


 そういや8月に入ってからまだ更新してないなと思って、こんな時間に大した意味もなく書いてます。なんというか最近日記を書かなければいけない義務感というのが希薄で、何か書こうとあんまり思いません。
 7月から自分のなかでの日記の位置づけを変えようとしていたからなのだとは思いますが、でも別にものを書くことそれじたいが面倒になっているわけでは全然ないです。
 言及せずにいましたが、日記を書くようになって1年がすでに経過しているようです。早いもので、などとは思っていなくて、えらく長かった気がします。何年経とうが書くのをやめるわけではないので長かったと過去形にするのもおかしい話ですが、1年という区切りで考えれば、人並みに紆余曲折はあったのではと思います。
 人として何か変わったかと考えてみると、結構大きな変化があったとも言えますが、実際は変わらない部分のほうがずっと多くて、案外人間って芯というか根本的な軸というのは簡単には揺るがないものなのかもしれないなどと感じます。
 変わる変わらないの話になると何とでも言えてしまうので大したことは書きませんが。


 結局自分は何が書きたくて日記を書いているんだろう、というのはたまに考えたりします。自分に日記を書かせる何かが必ずあって、けれどもそれが何かわからないから、書けば何かわかるんじゃないかと思ってただひたすら書いている、とも言えるのかもしれません。


 ここまで書いて思うのは、よくもまあこんなに何の内容もないことを書けるなということだったりします。こういう何が言いたいのかさっぱりわからない文章を書くことを想定したうえでの「誰にともなく」なんですが。
 特に言いたいことがあるわけでもないけれど、とりあえず何か書きたい、しかもあんまり考えずに、という実践形態ですね。


 一言で言えばとてつもなく暇なことで、読む人の時間をただ奪うだけというささやかな悪意が見え隠れしているような気もします。
 そしてこれだけ意味もなくだらだら書いてしまうと、終わり方がわからなくなるので困ります。じゃ、終わります、などと唐突にしめてももはや問題ないようにも思いますが、中途半端なことはしたくないという性格の一部分が顔を出すので、一応終わりに向かって話を進めます。


 そう、文章ならこうして終わりをつけられます。
 正直なところ、先の見えない状況がしんどくて、でも個人的で具体的なことを書き付けることをもうしたくないから、何か書こうとすれば必然的にこうなるのだと思います。


 嘆いても仕方ないのは今さら言うまでもないことですが、それでも何かをただ吐き出したい瞬間が、時折やってきます。しんどいのはみんな一緒などという言葉は、懐疑心をつのらせるだけで何のなぐさめにもなりません。