強制的自由について

 テスト勉強らしきことをしている。
 とは言っても自由論について時間を割いた講義だったこともあってなのか、テストもまあ自由に論述してくれていいよという先生のスタンスである。あまり授業に出ていない状況で自由と言われても、どの程度の自由なのか判然としない。と、考えたところでそれはもしかして自由とは言い切れないんじゃないかと思い始める。テストなのだし「〜についての自由」なわけである。
 何を書こうかと首を捻りながら、授業を振り返りつつ、自由論のことを考える。


 そう言えば、今日もらったESに、なんと自由作文を書かせるスペースがあった。
「自由にテーマを決めて作文してください。」などというのである。
 一瞬、解釈に迷う。


 もしやこれは「何でもいいよ」の自由ではなく、「自由」にテーマを決めて作文してくださいという意味ではないのか。したがってシェリングやミルの思想を持ち出せということではないか。おそらく労働に縛られる人間になるうえでの覚悟を見るために「自由」というものへの価値観を書かせる意図が企業にあって――


 とまあ妄想にひた走るわけだが、でも実際、そのスペースに何を書くべきか、ちょっと真剣に悩む。明日のテストよりよっぽど厄介である。


 しかしこういうことをここに書いている段階で、明日のテストも危ないかもしれない。