知のゆたかさをもとめて

 今年度は文学にじっくり時間を割きたいなぁと、就職が決まらないなか授業を受けて思った。絵画史を中心に昨年度は芸術の授業が多く時間割を占めていたけれど、シラバスを見るかぎり、あまり授業内容が前年度と変わらないので、ウエイトを日本文学と本業の哲学に傾けようかと思う。卒論もあるし。
 小説を読むことはいつでもできるけれど、小説を読んで考えを広げたり深めたりできるのは、大学にいるあいだだけなのだろうという気がする。人生の土台づくりというか、ものの見方の基盤みたいなものが、大学生活で読む本によって大きく変わるんじゃないかとずっと考えていて、今どれだけ多様なものを吸収できるかで、自分の書く今後の作品の方向性も変わってくるように思う。
 はっきり言って、あと1年で就職しなければならない危機感より、あと1年しかじっくり本を読んでものを書ける時間がないことへの危機感のほうが募る一方である。授業が始まったせいで、そんなことを強く考えてしまう。回生を重ねようと奪われる学費は変わらないのだから、学べるだけ学ばないでどうするのか。そんな気持ちで、前期はとりあえず時間に無理のない範囲でできるだけ毎日何かしらの講義に潜り込むつもりである。


 で、小説をしっかり書かないまま結構な時間が経っているばかりか、その間に新しいものを読んで受容することを繰り返しているため、次の作品に向けた爆発的な物書きエネルギーが自分の中に蓄えられてきている気がしないでもない。就活が終わるまでに爆発しそうで、どうしようかと最近ちょっと思う。
 さすがに就職先が決まらないまま長編の執筆に本気を出すのはまずいよなという良識的な考えがそれを思いとどまらせているけれど、そんなものが吹っ飛ぶぐらいに書きたくなるときが来るんじゃないかと、若干楽しみにし始めていたりする。