書くことの永遠に憧れて

 文章を書くこと、あるいは物語を書くという行為には、自分自身の思いを自由に書き連ねるという表現の悦楽と、無から有を生み出す苦悶の往復が付きまとう。これは、書き手が小説を書くという行為を突き詰め、読み返し、書く行為そのものの痕跡を深々と刻もうと試みた作品である。

 

 金井美恵子『岸辺のない海』(河出文庫

 

 本文は、海辺のデッキ・チェアに座り、これから書かれる物語について思う彼の見ているもの、感じているものの描写に始まり、すぐに《》で括られた、彼の書く文章が始められる。それを小説と呼ぶべきか、散文と呼ぶべきかは、読み進めば読み進むほど判然としなくなり、詩のような飛躍さえ帯びてくる。

 書く行為を進めていく「彼」と、彼の書く文章の中の「ぼく」の思考と経験は、やがて混じり合い、果てのない航海、あるいは漂流が始まる。浜辺の描写、「彼女」との会話、少年、少女との交流、「彼」の記憶、「ぼく」の行為、「ぼく」の思考、「彼」の思念、明確な因果関係の鎖から解き放たれ、文章は寄せては返す波に揺られるように漂っていく。小説を書こうとする「彼」の空想と思考はつまり、書く者がつねに直面する創造の意味への問いであり、その行為の動機の追求でもある。書こうとする「彼」、そして、書こうとする書かれた「ぼく」の出現。それは、『岸辺のない海』を書き進める、もう一人の書き手の姿をあぶり出し、小説全体によって、書くという行為そのもののありようを示唆していく。

 

 書く前の逡巡、未だ書かれていない言葉への憧れ、書かなければならないという意志、書くことの苦悩、書き続ける困難、書くことしかできないという諦念、書かれてしまった文章との対話、そして、読み返すという行為。繰り返されるモチーフと、イメージの列挙は、断片的な反復の中にある差異によって、文章を先へ先へと進める推進力になり、書き手の意志や意図を離れ、得体の知れないうねりを生み出し、読み手を巻き込む。しかしそれでも、幾多の登場人物の中に埋没してしまってもなお、書き手はただ一人、孤独の淵に佇んでいる。その思索に寄り添うように、ただひたすら、書かれた言葉を辿っていた。

 理解と無理解という地平はすでに遠く、これがこうして書かれたものとして現前し、それを自分自身が読むことができている快楽に揺られるという、非常に稀有な読書経験だった。

 

 金井美恵子さんの作品は、『ピクニック、その他の短篇』(講談社文芸文庫)以外は読めておらず、遠ざかっていたのだけれど、何とかこうして通読することができて嬉しい。『岸辺のない海』は、冒頭だけ幾度となく立ち読みしながら、まだ今ではない、けれどいつか、と思い続けていた一冊だった。今読めてよかったと思う。

 最後に、冒頭に書かれている一節を引用しておく。

 

 

――とどまることなく、続けざまに亡命しつづけること。それは書くことに他ならない。休みなく、夜と昼のたまりの中で、肉体を包囲する空間と、閉ざされた道の迷路の中で、《もとよりれっきとした図面といっても、描いてある道はただ栗の毬の上へ赤い筋が引っ張ってあるばかり。難儀さも、蛇も、毛虫も、鳥の卵も、草いきれも、記してあるはずはない》地図の中の緑色の平野と薔薇色から茶色へと色を変える山地と、赤い糸筋のような等高線と水色の河川と、鉄道と道路と地名を記す小さな点の中にわけ入り、地図に描きこむことの出来ない空間へ、生きるために、もしくは、生きる理由なんてものがないことを知るための逃走、そして闘争。ぼくは書きつづけよう。ぼくの灰色の表紙の航海日誌を――。岸辺のない海をめぐる永遠の航海に、永遠の不可能の航海に出かけよう。ぼくは書きつづける。書きつづけるために――。

 何よりもまず、休みなく書きつづけること――。 p.12