神は悪意に満ちている

 中村文則[著] 『掏摸[スリ]』(河出書房新社


 以下の感想を読んでからこの作品を読んでも支障がないように配慮はしつつ書いていますが、内容をある程度明かさなければ伝わらないだろうと思う部分も多かったので、ネタバレ要素も若干ながら含んでしまっていると思います。それを了承していただいたうえで読んでもらえればと、念のため。




 第4回大江健三郎賞に輝いた作品である。
 語り手の「僕」は天才的なスリ師であり、街中で裕福な人間を見つけては犯行を重ねている。あるとき、かつて一度だけともに仕事をしたことのある「最悪」の男、木崎と再会する。そして彼は「僕」に仕事を依頼する。「失敗すれば、お前を殺す。もし逃げれば……最近、お前が親しくしている子供を殺す」


 この小説に、善人は出てこない。悪人たちによる、悪人たちだけの物語だと言っていい。けれど、善と悪を超越したところにある人間的なものが、拮抗する悪と悪のなかに垣間見える小説である。


 善と悪と言えば、その両者を止揚する試みがなされている川上未映子氏の『ヘヴン』が思い浮かぶけれど、善人が出てこないぶん、この『掏摸』はまったく二元論的ではない。そして、悪人と悪人が闘いを繰り広げる小説としては伊坂幸太郎氏の『グラス・ホッパー』が連想されるが、種類の違う悪が痛快な活劇を展開するなどという、エンターテインメントの要素は、この小説にない。


 主人公がスリを行う描写はとにかく克明で、たった一瞬が熱を持ち、映像を見るように読んでいて引き込まれる。目に映るもの、その場所の空気、指先の感覚、犯行後の独特な高揚感が伝わってくる。
 その秀逸な描写力を持ってして描かれるのは、絶対的な悪として闇社会に君臨する木崎という男に自分の運命を握られた主人公の姿である。与えられた仕事をこなすことしか生き延びる道はなく、失敗しようが逃げようが確実に殺され、仕事を忠実にこなしても、気まぐれに命を奪われないとはかぎらない。


 木崎はいわば神のような存在として、主人公を始め、部下の人間の運命を掌握している。いや、彼自身が、神として存在しようとしているとも言える。彼の放った言葉を、少し長くなるがいくつか引用したい。


「運命ってのは、強者と弱者の関係に似てると思わんか? 宗教に目を向けてみるといい。ヤーヴェに従ったイスラエル人達が、なぜヤーヴェを恐れたか。その神に、力があったからだよ。神を信じる人間は、多かれ少なかれ、神を恐れている。なぜなら、神に力があるからだ」


「……他人の人生を、机の上で規定していく。他人の上にそうやって君臨することは、神に似てると思わんか。もし神がいるとしたら、この世界を最も味わってるのは神だ」


「この人生において最も正しい生き方は、苦痛と喜びを使い分けることだ。全ては、この世界から与えられる刺激に過ぎない。そしてこの刺激は、自分の中で上手くブレンドすることで、全く異なる使い方ができるようになる。(中略)俺は人間を無残に殺したすぐ後に、昇ってくる朝日を美しいと思い、その辺の子供の笑顔を見て、何て可愛いんだと思える。それが孤児なら援助するだろうし、突然殺すこともあるだろう。可哀そうにと思いながら! 神、運命にもし人格と感情があるのだとしたら、これは神や運命が感じるものに似てると思わんか? 善人や子供が理不尽に死んでいくこの世界で!」


 彼は圧倒的な力を持って、絶対的な論理をかざし、他者を支配する。その姿は、正義の対にある悪ではなく、完全な一者として、善なるものすら内に含んだ悪のように映る。読み手はそのような存在を前にして、根本的に善とは何であり、悪とは何であるか、また両者は果たして一対のものかと問い直さざるをえないと思う。そして、その狭間で揺れ動くのが人間という存在者なのだと、この小説は突きつけてくる。


 木崎から主人公に話を戻せば、命を握られた彼もまた、人から財布を盗み続ける悪人であり、自分でも裁かれる身であることは承知している。そのまま人生を送ったところで、まっとうな善人と呼ばれる存在に自分はなれないことを理解もしているし、それまでの人生が愛すべきものであるとも思っていない。それなのに彼は、木崎を前に死を恐れ、生に執着する自分に気付く。一体何がそうさせるのか。自分を支配する運命から、逃げることなどできそうもないのに、物語は暗澹たる闇の中で、一縷の光を微かに見せて終幕を迎える。


 一縷の光が希望の光などという眩しいものだとはとても言えず、救いのようなものがあるとも言いがたい。ただ、一縷であろうと光を書いたという時点で、悪に支配された運命への抵抗と、この世界への愛しさのようなものは見て取れるのではないかと思う。救いなどないかもしれないけれど、それでもなお生きなければならない。ただそれは当為と言うより不条理と言うべきか。


 読み終わってから著者のことを調べてみたら、ドストエフスキーカミュカフカの影響を受けているとわかって納得した。


 内容に多めに触れながら書いたけれど、書ききれないことも多い。善悪について深く考えたい人はぜひ読めばいいと思うし、そんなこと別にどうだっていいと思っている人だって、読んでみる価値のある小説だと思う。
 むしろ、そういう根源的な問題がどうこうではなく、緊迫感に満ち溢れた描写と、あまりに傲慢で理不尽な木崎の奇妙な人間的魅力はぜひとも味わってみてほしい。




 というわけで、パソコンが返って(帰って)きたので久々にじっくり自宅更新でした。