パーフェクトなひとに

 ああ喋りたい。
 人との会話が足りないときにやってくる「喋りたい周期」が到来しています。思えば先週は月曜のグループディスカッション以外でまともに喋っていません。しかし、友人に突然の電話攻撃(迷惑)をしようにも月末が近づいているため通話料はもはやほぼ限界です。どうしたものか。


 と、そんなことよりESの締め切り2つに追われています。ついでに来週は面接も2つ。4月に落ち込んで停滞したぶん、現在の忙しさはあまり3月と変わりません。初めて行く土地に対しては慣れも何もありませんが、行ったことのない場所へ行くということ自体には慣れてきたように思います。


 企業に赴くというのはたとえ説明会であっても選考の一つのようなもので、その場で見られる自分はできるかぎり万全の状態でありたいといつも思っています。肉体的には睡眠時間が充分であればある程度元気に動けますが、精神的な万全というのはなかなか難しく、気持ちを万全に持っていくためにはどうしたらいいのかを考えていたら、精神状態の万全がどういう状態を指すものなのかと考え始めてしまいました。


 小説を読み込んだり書こうとしたりするときの万全と、企業研究だったり面接に臨もうとしたりするときの万全とは、少し別のものなんじゃないかという気がします。何か小説を読んで心を揺さぶられて、言葉に対して敏感になっているときと、説明会で素敵な働き方をされている社員さんと話して頑張ろうと思ったときというのは、ともに心が満たされてはいても、意識の方向は異なっています。
 趣味に意欲的な自分が、働くことに意欲的な自分と、同じ自分であるはずなのにイコールで結びつかないような、妙な心地になることがあります。何かに全力で取り組む、ということは、すべての力を一つのものに傾けることであって、同時に二つ全力で取り組むことは、一つに対する全力より必ず劣ってしまうんじゃないかと、たまに思ったりします。
 とは言え、やむをえず何足もわらじを履いて頑張らなければならない状況のほうが現実的には多いし、同時にいくつもいろんなことをこなせる友人も周りにいっぱいいるので、こういうことを言うと批判されそうなんですが、でもどうしても切り替えが苦手なままこれまで生きてます。落ち込んだところから前向きになる切り替えはすぐにできても、一つの前向きから別方向の前向きへと向きを変えるのに、結構時間がかかります。
 ES書き上げたから、さあ小説を書くか、というのは絶対できません。一瞬にしてそのつど気持ちを切り換える能力というのを、この先徐々にでいいから身につけていきたいなと思っているしだいです。


 何に対してもできるだけ完璧でありたいという不可能な理想像を、いまだ捨てきれずに追いかけているからあれこれ悩むんだと思ったりします。人にほめられたいとか尊敬されたいとか、どこから湧いてくるのか、そういう思いをつねに抱えている自分がいます。
 そればっかりを追い求めているから自己主張が多くなって、他人を受け入れる姿勢が二の次になることを、最近はつねづね反省して生きてます。欠点もあるのが人間で、良い面も悪い面もひっくるめて、自己も他者も受け入れられる寛容さが本当は必要だと思います。


 ということで、何も考えず雑多に書きました。この日記こそ自己主張の塊でしかないなあと思いつつ、読みにくくて申し訳ないです、とお詫びを言って終わります。