やくだてる

 人の役に立つ、というのもなかなかわかりにくい言葉である。企業の情報を見ていれば嫌というほど目にするけれど、どのような形で、どの程度役に立つのか、それぞれに違うため、どこに本質があるのかをしっかり吟味せねばならない。
 一言「人の役に立てる仕事です」と書かれていても、働くということは誰かの役に立ってしかるべきなのだから、それは言われるまでもない。報酬を得る以上は、誰かがどこかで幸せになっていなければならないとも思う。


 以前、自然体という言葉のややこしさについても書いたけれど、単純な言葉ほど安易に使うのは危険な気がしてならない。就活こそ言葉との闘いである。


 ところで、先週の金曜日にあったできごとで、書き忘れていたことを思い出したので、そのことを少し書こうと思う。


 昨年8月、この日記を書き慣れてきたころに参加していたインターンシップにて、企画会議から企業訪問、インタビューまでをこなしてつくり上げたフリーペーパーの完成品を、金曜にようやく手にした。研修先の諸事情もあって完成が遅れていたらしく、正直忘れかけていたのだけれど、いざ自分の担当していた記事を見ると、多少の体裁に修正はあっても、文面にはそれほど手が加えられておらず、読んですぐに半年以上も前のことをありありと思い出してしまった。


 編集の仕事に就くつもりはないけれど、一つのものをつくる過程に携われた経験から得られる達成感は、これほど大きいものかと驚く。何よりうれしかったのは、キャリアオフィスに残部がすでになく、保存用にあった最後の一部を譲ってもらったことである。それも、他学部のキャンパスに残部がまだあったからで、あと少し遅かったら手にできなかったかもしれない。


 手に取った人に少しでも有益なものになっていることを祈りつつ、自分の書いたものも今後そうなれば、とあらためて思った。


 言葉を尽くして書き切ったものが、誰かの語彙の糧になり、内面を少しでも潤すものとなれば、それは充分「人の役に立つ」ことになるのではないか、と思ったりもするのである。役に立つという言葉が何を示すのか、その尺度を自分の中に持っていなければならない。