阪急の車窓から

 思いのほか忙しくなりつつある。
 今日は1社だけのために合同の説明会へ梅田まで赴き、そこから大学へ直行して授業を受けた。奈良→大阪→京都→奈良というルートである。単独の説明会への優先予約のためにはどうしても行かねばならず、滞在時間と交通費の関係は考えないようにすべきだと割り切るほかない。


 まったく違う話になるけれど、阪急電車に乗るのはずいぶん久しぶりだった。奈良に住んでいると当然ながら大阪と京都の間を移動することはまずないため、引越してからもしかしたら初めてだったかもしれない。なんせ、前回乗ったのがいつだったかも記憶にないほどなのである。
 しかし、人間の記憶というのはときに素晴らしいもので、小学校から中学校までの期間、何度も乗っていた阪急京都線の車窓から見える景色は、当時のことを驚くほど彩り豊かに思い起こさせるものである。ある程度予想はしていたけれど、それ以上の懐かしさが溢れて、じわりと胸の奥が温かくなる。
 昨日、よく阪急を利用する友人に、久々に乗るのが楽しみだと言ってみたら、しょっちゅう乗ってるからなあ、と言いながら、気分の高揚する私を訝しげに見ていた。何がそんなにうれしいのかと言いたげだったその表情は、思い出がつくり出す景色の価値の格差を物語っていたように思う。
 出生地が奈良でも、幼稚園からの10年間を大阪で過ごした私にとってみれば、そこは故郷同然である。車窓から見える景色の中には、ただぼんやりと眺めていた建物もあれば、実際そこに立ち、電車を見ていた場所もある。小学校の社会見学に行った浄水場だったり、文房具をよく買いに行った商店街だったりと、人生においては瑣末な事柄の寄せ集めでしかないはずなのに、気付けば大切な記憶のひとかけらとして、まばゆいほどの光を放ち始めていることに驚かされるのである。
 たった一度、それも隣の県への転校が、時間とともに移ろいゆく風景と、褪せていく記憶との間にある淡く曖昧な差異について、深く考え続ける土壌になっているように思う。おそらく、1時間で行き来できる距離だからこそ、その変化を敏感に感じ取ることができるのだと思っている。


 転居を経験していなくとも、そういった体験は必ずどこかにあるものだと思う。大学に入って4年目を迎えた今、小学校や中学校への通学路を改めてたどったとき、誰しも忘れていた何かが思わぬ形で甦るはずである。
 風景に宿る記憶の温もりや重みは人によって違えど、懐かしいと声に出して言ったときのその感情には、何かしらの普遍性があると私は信じてやまない。決して容易に言葉にできるものではないけれど、それを小説という虚構の中で、一つの真実として描き出すことができたらと思っている。2年前の夏に書き上げた63枚の中編も、そんな内容である。現在構想しているものは少し異なってはいるけれど、持ち続けたい問題意識としては、おそらく揺るがないだろう。


 さて、就職のことを考えるべきときだとはわかっていながらも、久しく触れた過去の手ざわりを書き留めておきたくて、思いのほか饒舌になってしまった。初めに書いたとおり、また続々と説明会やら選考やらがスケジュールに組み込まれていて慌しい日が増えそうである。スーツで大学へ行く回数が増え、春物の私服の出番がろくに来ないまま夏を迎えそうなのを懸念せずにはいられない。
 最後に、備忘録のつもりだったのにもはや慌ててしまって忘れることはなさそうなのだけれど、免許の更新にそろそろ行かねば大変なことになる。