しめやかに、けれど確かな熱をもって

 五十年余りにわたる交友によって築き上げられた絆とは、どういうものなのかと想像はしてみても、自分の生きたこれまでの二倍以上の月日など、あまりに深遠すぎて霞みがかっている。歳月の長さですらはるか遠くに感じられてうまく思い浮かべることができないのだから、それほどの時をともにした人を喪ったときに立ち現れてくるおもいというのが、果たしてひとりの人間の手で抱えきれるものなのだろうかと考え込んでしまう。


 佐多稲子[著] 『夏の栞――中野重治をおくる――』(講談社文芸文庫


 今月の講談社文芸文庫の新刊として書店に並んでいたその本の著者名を唐突に目にしたとき、信じられない思いで慌てて手に取った。佐多稲子の著書は現在、『時に佇つ』以外書店に並んでいないのである。復刊を切に願う読者のひとりとして、その願いが一つ叶えられたのかと思ったら、それはかつて新潮文庫に入っていたものを底本とした新刊だった。


 追悼文として書かれているはずのそれは、もはや随筆から小説の域へと達しようとしている。1979年8月に亡くなった中野重治の、入院が決まってから臨終の瞬間をまっすぐにしたため、そこから戦前、戦中、戦後と交友関係の歴史を顧みて、現在へと戻る。自身の記憶をひも解きながら、そのときこう言ったのは彼のこういう心情を慮ってのことだった、こういうことがあったから、かつての自分のなかにくすぶるような思いが芽生えていたと、瑣末な事柄も丹念に丹念に振り返り、ありありと描き出している。中野との思い出深い事柄を鏡のようにして、当時の自分の姿を見つめなおしているようにも思える。
 これほどまでに過去を真摯に見つめ、緻密に、丁寧に書き切れる作家をほかに知らない。そういった書き方はおそらく意図したものであるというよりは、中野を偲ぶおもいであったり、彼とともにあった頃の記憶に対して、そのような書き方をもってしか書きえない事柄なのだと思う。
 急き立てられるようにして書かれたのだとわかるほど、熱をもってその言葉は伝わってくる。少し独特にも感じられる助詞の選び方にも、それが表れているような気がする。


 戦前から戦後にかけての時代背景について、もっと知識があれば何かしら書くこともできるのだけれど、残念ながらそれはできそうにない。それどころか、巻末の山城むつみ氏の解説が素晴らしいので、感想を書くことも憚られたくらいである。佐多稲子中野重治の関係についての詳細は、そのためここでは書くことはしないでおきたい。
 ただ、知識不足な人間であっても読ませてしまうほどの熱がそこにあった。200ページに満たない文章であるのにもかかわらず、込められたものの重みはずっしりとしていて、遠いその墓標に向けて、思わず目を閉じた。
 流れていく時間のなかで、ことあるごとにそのページを開くことができるように、その記憶を思い起こせるようにとつづられた私的な言葉は今、新たな読書の歴史の一つとして、見知らぬ読者の栞になろうとしている。
 五十年の歳月をたどりながら書かれた一つの文学作品に寄り添い、ずしりと重いその余韻のなかで、納骨を終えた日の帰り道、著者が見上げた曇り空の色がまだ、すぐそばにある。