ある意味、力への意志

 昨日の午前中に『1Q84 book3』は読み終えていたのですが、日記を書くタイミングを逸してしまったので今日書きます。周知の通り売れている本なのであまり感想は書きたいと思わないんですけど、記憶にとどめておくために少しだけ述べておくことにします。


 全3巻を通して最大の山場というのがすでにbook2に存在していたためか、昨年の2冊を読んでいたときほど引き込まれはしませんでした。と、こんなふうに書くと面白くないように思われてしまいそうですが、そんなことはなく、物語は目指されるべき終着点(あるいは新たな出発点)に向けて着実に歩みを進め、主要登場人物があるべき姿、場所へ辿りついたような感じがします。おそらく意図的にだと思いますが、現実を描きながら、聖書の内容を彷彿とさせる物語に仕上がっているように読めます。受胎告知とか楽園追放みたいな。
 以前の『海辺のカフカ』が「オイディプス王」を思わせるような展開だったこともあるし、その点に関しては間違いないかなとは思います。
 ただ、現代を生きるわれわれに向けて送られたメッセージを読み取ろうとするなら、それは困難に思えます。表面的なところだけ読み取っても物語は理解できるし、逆に深く読み込もうと思えばいくらでもできるような、そういう書き方がこれまで通りされています。あくまで作者である自分の意図を主張せず、読み手一人ひとりの解釈に物語を委ねる姿勢が、作品をより魅力的なものにしていると思います。
 と、見事に無難な感じにまとめました。


 しかし、いつも村上作品を読みながら思うのは、単なる読み手として考えれば非常に密度の濃い読み応えのある小説ですが、書き手の立場から読もうとすると、どうやってこれを思いついたのか、どこで書くのをやめて悩んで、どこまで展開を考えて書いていたのか、まったく見当がつかないということです。逆に軽いノリで書いてみた箇所があるなら教えてほしいぐらいです。これは何も村上さんだけにかぎって言えることではないにしても、自分が今とんでもない作品を目の前にしている気がして戦慄します。


 で、小説ばかりをいつまでも読みふけっているわけではなくて(と言いつつ幸田文を今日も読んでいますが)、昨日は説明会に行ってました。ほとんどゼロになってからようやく、また本気で目指せる企業にめぐりあえた気がしています。選考フローはずいぶん長いし、さっさと落とされるかもしれませんが、まずはいただいたESから。気持ちを新たにして頑張れる活力がみなぎってます。


 そして、現在、発売されたばかりの陰陽座のライブDVDを熱く鑑賞しています。メタル素敵です。荒れ狂うツインギターと唸るベースに心を奪われつつ、CD音源をしのぐ演奏に魂を捧げんばかりです。


 さらに以前から言い続けていますが、書こうとしている小説の構想が日に日にはっきり形になろうとしています。いい加減書きたいのですが、ESの締め切りが来週なので、しばらくエネルギー配分がややこしい感じになりそうです。


 ということで、新刊話題書から就職、メタル、執筆構想まで、幅広く適当につづりました。ときどき自分が何者かわからなくなるような嗜好ですが、いい勝負な友人も若干名身近にいるので、特に気にせず生きています。