言葉と神とが等号で結ばれるとき

 残り四分の一ぐらいのところまできました。寝不足必至です。


 知識欲ばかりが刺激される毎日を送っている気がする。就職しても、人文科学的な知識を蓄え続けたい。まずはある程度の収入をためて、そこから院に行くのも全然ありだと思う。
 まあ、いざ仕事を始めてしまえば今考えているようなことは幻想のように消えていきかねないけれど、それはやっぱり働き始めてみないとわからない。


 最終学年になってみて気付く、自分の学問的興味の幅広さ。というか、3年間いろいろと考えたからこそ、それを土台にして学びうることの深さをひしひしと感じる。
 哲学を学んできたのに、もしかしたら行き着くところは文学の研究だったりするのかもしれない。ゼミの教授には受け入れられない可能性もあるような気もしつつ。でも文学部の学びというのは往々にしてそういうものではないかとも思う。


 いろんな人と出会って、世の中にはこんな人間もいるのだなあと許容量を増やすのも成長ならば、一人の人間の作品世界を様々な角度から見ることで現代を見る目を養うのも成長である。成長という言葉はあまりに多義的で、あまたある可能性のなかから何を選び取るか、あるいは選び取るべきか。時間は黙っていても減っていくけれど、それでもじっくり考え続けなければならないと思う。
 よくも悪くもつねに変わり続ける自己に対して、思っていることを少しでも言語化していくことが、今できる前進には違いない。


 残りのページが自分を呼んでいる……