かけがえなき過去完了の物語

 物語に宿る、かけがえなさというものがある。たった一度きりだから、二度と味わうことができないからこそ感じられる、その価値。儚さや切なさを孕みながら、それは遠い架空の過去へと読み手を連れて行く。


 小川洋子[著] 『人質の朗読会』(中央公論新社


 小川さんの作品を愛読している人ならば、そのタイトルだけで小川さんらしさを感じ取れるだろうと思う。人質とはつまり、外部から隔絶された、閉じられた内部にいる存在と言っていい。そんな彼らが織り成す物語が、胸を打たないわけがないと思って購入し、すぐに読み終えた。
 期待を裏切らない質の高さだった。


 これは、短編連作のかたちを取った物語集である。
 日本から見て地球の真裏にある場所で、ツアーに参加していた観光客8人が、ゲリラ組織に襲撃され、拉致される。人質たちが閉じ込められた場所は「2000メートル級の山々が連なる山岳地帯」で、情報も乏しく、詳しい状況が世間に明らかにされぬまま、事態は膠着状態が続いた。事件発生から100日以上が経って、やがてニュースでも取り上げられなくなりつつあったとき、軍と警察の特殊部隊が犯人グループのアジトに強行突入し、犯人側の5人を射殺した。
 しかし、犯人側が仕掛けたダイナマイトの爆発により、8人の人質たちは全員死亡。誰ひとり助からなかった。


 亡くなった人質たち8人は、退屈を紛らわせるために、自分たちの過去を紙につづり読み上げる、朗読会を開いていた。いつ自分たちが助かるのかという不確かな未来ではなく、確固たる過去の記憶を語る時間を持った。それが、部屋に仕掛けられた盗聴器を通して記録されていた。そして、記録されたそれらの物語は、彼らの生きた証として、ラジオで放送された。


 プロローグに書かれている、前提となる設定を要約すれば以上のようになる。
 だからこの小説は、人質たちが朗読した自らの過去の物語でできている。そして、物語はそれが語られた過去の時点より遥かに遠い過去、すなわち過去完了形の物語だと言えるだろう。
 人質たちの語る声に耳を傾けるように文字を追いながら、彼らがすでにこの世にいないことを思う。と、それだけでそこにある物語がかけがえのない、いとおしいものに思えてくる。
 祈りのように、静かに語られる不思議な人生の一場面は、それが閉鎖された空間で朗読されているのだということすら忘れさせるような、色鮮やかなものである。
 けれど、必ずそこには死の気配を感じさせるかすかな悲しみや切なさがあって、それが単なる昔話にとどまらないよう、小説の中の現実との確かなつながりを意識させるものになっている。


 小さな灯りを囲んで、慎ましやかに、ゆっくりと語られているその朗読会の情景がまず思い浮かんで、その上に、彼ら人質たちの過去が描かれていく。そしてそれが、死者たちの語った言葉なのだという意味合いを帯びて届いてくる。
 どんな些細な場面であれ、それは確かに彼らが刻んだ足跡であり、生きた証なのだ。それぞれの挿話が、極上のかたちで読者に提供されている、そんなふうに思った。


 小川さんの小説はいつもそうだけれど、作者が物語の内部にいない。小説を書くとき、作り手の内面が少しぐらいは反映されてもおかしくないのだが、その点に関して細心の注意が払われているのを感じる。
 そして作者どころか、物語の語り手の存在すら、明確にはされていないことが多い。この小説であれば、人質たちが語った朗読をラジオで聴いている「誰か」がいるはずなのだが、それははっきりと書かれていない。
 小説全体の語り手と読み手が、かぎりなく近い存在であるかのように書かれている。物語が、語り手を通さず、物語そのものの力によって読み手に届くような、そんな感じがする。


 だからなのか、ほかの作家さんの感想を書くとき以上に、「物語」という言葉を多用してしまう。それはきっと、小川さんの書く小説が、「物語」というもののありようをまざまざと示してくれているからにほかならないと思う。
 つくられた物語の世界に入り込むことで、それを読み終えて現実という外部に戻ったときの余韻がすごく大きい。静かながらも、それは今なお、強く心を揺さぶっている。