物語の刻印をなぞって

 ひとに本を薦めたのに、その本の読後感以外はほとんどが消え去ってしまっているというのは悲しいと思って、薦めたそばから慌てて再読を始めた。過去に綴った感想は、調べてみると10年前のものだった。
 
 小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫)
 
 10年ぶりに読んだ感想を、改めてここに綴りたい。再読してみて、今の自分がたどった物語の手触りは、微妙に当時の自分とは違っていることに気がついた。けれど、この物語が自分に与えている影響の強さ、深さを思って、それはもはや刻印のようにそこに存在しているのだと確信した。刻まれた物語の上を、別の物語が降り積もり、覆い隠したことで、よりいっそうその読後感が崇高なものになっていったのだと思う。本当に、素晴らしい小説である。
 
 高校時代に『博士の愛した数式』や、新潮文庫の短篇集などに触れて以来、まだそれほどたくさん小川さんの小説に触れていなかったからなのかもしれないが、そんな当時の自分以上に、文章そのものからにじみ出ている「小川さんらしさ」を感じた。随所の比喩表現、小さなもの、静かなものへの温かな眼差しと、失われてゆくものたちを慈しむように連ねられる文章。敬愛しているわりに、最近はその作品を追えていないにもかかわらず、逃れようのないほど自分の文章に影響を与えられていることに、苦笑いすらこみ上げてしまうのだった。
 
 物語は、「記憶狩り」が進む島を舞台とする。ある朝目覚めると、特定のものが「消滅」している。実際にはそれが実体まで消滅するわけではないのだが、島民たちの記憶から、そのものの記憶と意味がすべて消滅し、彼らはそれを物理的に処分せざるを得なくなる。そして、「消滅」後にそれを所持している場合、秘密警察に連行されてしまう。島民たちの中には、その「消滅」の影響を受けない人間がおり、彼らは消えてしまったものを忘れず、ずっと覚えていられるのである。「忘れない」人間たちは、秘密警察に目をつけられており、怯え、隠れて生活することを余儀なくされている。
 主人公である「わたし」は小説を書いており、母親が「忘れない」人間だった。その母親と同様、「忘れない」人間であるR氏は、「わたし」の小説の編集者である。物語は、編集者のR氏と、記憶と意味が消滅したフェリーの船室で暮らすおじいさんの3人で展開していく。平穏を願う彼らのもとに、「消滅」は次々と訪れる。
 
 何もかもが消えてしまうなら、それらを残しておこうとする試みにも何の意味もないのではないか。物語が問うのはそんな問いである。小説を綴ること、物語を紡ぎ出すこと、そして生きることそれ自体さえも。
 物語全体を読み通しても、秘密警察の正体や目的は語られず、どうやって、なぜ「消滅」が進んでいくのかは一切説明されない。揺るぎない摂理として、あまりにも不条理に、登場人物たちはそれらを受け入れることを強要される。そこに救いはなく、状況だけ切り取れば、それは紛れもなく、絶望的な物語になってしまう。
 
 しかし、通読してゆっくりとこみ上げてくる思いは、不思議と悲しいものではない。次々と身近なものが消滅していくなかにあった彼らが、小さなものや些細な出来事をいとおしく思い、大切に扱っていた温もりの印象が、読み手である自分の記憶になって立ち上がってくる。それはおそらく、物語が進むなかで、彼らのもとから消えてしまったはずの意味や記憶なのだろうと思う。「失ってしまってから大切さに気づく」のではなく、失われてしまったら、それが存在したことを惜しんだり懐かしんだりすることすらできない世界で、彼らがそれでも慈しんだもの、消えてしまった後も残そうと望んだものを思って、胸が締めつけられる。
 
 そして、物語の中で作中作として語られる「わたし」の小説が、消えてしまうものたちの、どうしようもない美しさを確固たるものにしている。声を失い、教師に時計塔に閉じ込められたタイピストと、声以外を失っていく書き手の「わたし」。重なり合う物語の対称性に息を呑み、「消滅」が終わった島に差し込む日差しの明るさを思う。
 
 物語の細部が記憶から失われてしまっても、言葉によってしか成立しえないこの物語の美しい余韻は、決して消えてしまわない。小説になしうることの可能性を、物語が照らし出す現実の形を、大切に心の奥に残しておこうと思える。
 
 この『密やかな結晶』は、かつて人生における大切な10冊に数えたことがあったけれど、再読した今も、それは変わらない。目に見えない、形のない印象や記憶や関係性を、そして、言葉が可能にする想像力を大切にしたいと思わせてくれる小説として、やはりこの本は、自分の中の一部になっている。
 
(追記)この記事は、10年前の7月に綴った感想をあえて読まずに書いた。書き終えてから10年前の感想を読み直したのだけれど、昔の自分のほうが丁寧に書けているところもあって、少し複雑な気持ちになる。読むこと、書くことを自分のなかから消してしまわないように生きていきたいと改めて思った。